「みどりの会議」の版間の差分

開発・経済成長一辺倒ではなく「[[持続可能な社会]]」を目指し、「足るを知れ」と訴えた。[[エコロジー]]運動や[[平和運動]]出身者を多く抱えていたことから[[左翼]]([[革新]])系と見る者もいるが、「経済発展を目指す点では[[日本共産党|共産]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社民]]なども[[自由民主党 (日本)|自民党]]と同根」としており、従来の[[55年体制|左右対立軸]]ではないことを主張していた。ただし、さきがけ時代に比べ[[保守]]政党色は大きく薄れており、前述のように組織的つながりもほとんど無いことから、さきがけ時代の支持者の多くは離れていたと見られる(そもそも、一般的には[[1998年]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]敗北か、あるいは[[2001年]]に[[武村正義]]らが民主党に入党した時点をもって、さきがけは解散したと見られていた。みどりの会議がさきがけの後継であることは、あまり知られていなかったのである)。
 
選挙区では主に民主党を支援し、候補者によっては社民党などを支援することもあった。2003年夏に[[徳島県選挙区]]選出の[[高橋紀世子]]が入党せずに統一会派組んだ
 
[[2004年]]の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院議員選挙]]に比例区に候補者10人を擁立して[[政党要件]]満たさない[[確認団体]]として約90万3775票を獲得するも、同参院選における比例区の最低議席獲得票は約107万7658票に約17万3883票足らずに当選者0となる。現職参議院議員だった代表委員の中村敦夫はみどりの会議比例名簿1位になるも落選し高橋は不出馬で両者引退、みどりの会議に所属する国会議員は皆無となった。2004年7月22日の党大会で政治団体としては解散することを決め、新たな出発について話し合う[[みどりのテーブル]]を設け、コーディネイトを環境・[[科学|サイエンス]]ライターの[[小林一朗]]に委任した。同年[[10月31日]]付けで[[総務相]]に正式に解散を届け出て、[[2005年]][[2月13日]]にみどりのテーブルの設立総会が開かれた。
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