「中村敦夫」の版間の差分

[[1995年]](平成7年)の[[第17回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]で[[新党さきがけ|さきがけ]]公認[[生活者ネット]]推薦で出馬したが落選する。[[1998年]](平成10年)7月に[[第18回参議院議員通常選挙|同選挙]]さきがけの推薦及び[[市民の党]]の応援を受ける[[無所属]]候補として立候補し、[[東京都選挙区]]から初当選をする。同年10月に「環境主義・平和外交・行政革命」の3つを基本理念とした民権政党「[[国民会議]]」を一人で旗揚げする。
 
[[2000年]](平成12年)[[7月]]さきがけ代表就任<ref>さきがけはかつては「新党さきがけ」として[[自由民主党]]・[[日本社会党]]とともに[[自社さ連立政権]]の連立与党であり、閣僚も送っていたが、主要議員の多くが離党した上、[[1998年]]の参議院選挙以降は所属国会議員がいなくなっていたため、[[エコロジー]]を中心とした党への変革を進めていた。</ref>、同年[[8月]]議員連盟「[[公共事業チェック議員の会]]」会長就任、[[静岡空港]]建設反対運動<ref>[http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/monzirousisatu.htm 9・5「紋次郎」議員視察模様]</ref>などに取り組む。[[2002年]][[1月]]さきがけと国民会議が合流し、党名をさきがけから「[[みどりの会議]]」に変更され98年初当選同期の([[徳島県選挙区]]選出の)[[高橋紀世子]]も入党したせずに会派組んだ
 
[[2004年]](平成16年)[[7月11日]]の[[第20回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]では[[比例区]]に転向して(高橋は引退・不出馬)、みどりの会議は中村をはじめとする10人の候補者を立て、90万を超える票を得るも全員落選した。これにより、みどりの会議は国会での議席を失うことになった。みどりの会議は同年11月に解散し、一部メンバーが[[みどりのテーブル]]~([[新左翼]]・[[虹と緑]]合流し)[[みどりの未来]]~[[緑の党グリーンズジャパン]]を設立したが、中村・高橋は参加していない。
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