「レインジャー8号」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
EW-NK32 (会話 | 投稿記録)
m 誤字等の修正
22行目:
}}
 
'''レインジャー8号'''({{lang-en|Ranger 8}})は[[NASA]]の[[レインジャー計画]]で製作され、打ち上げられた[[月探査機]]。月面に向けて進み、月面衝突前の十数分間の高解像度写真の撮影が目的であった。ビジコンカメラ6台に加え、広角カメラ2台、狭隅角カメラ4台が積まれており、それぞれのカメラが独立した系統の電源、通信を持つことで信頼性と安定性を増していた。カメラ類以外の観測装置はまれていなかった。<ref name="nssdc1965-010A" >[[レインジャー8号#nssdc1965-010A|National Space Science Data Center, Ranger 8, NSSDC ID: 1965-010A]]</ref>
 
== 設計 ==
レインジャーの[[レインジャー6号|6号機]]以降はすべてブロック3といわれる設計系統でどれも同じような構造になっていた。推進・電源ユニットの上にが1.5m程度の6角形の台座があり、上部には円筒部がついており、全高は3.6m程度であった。下部には展開式の太陽電池パネルとパラボラ高利得アンテナがまれており、展開すると太陽電池パネルは4.6m程度。上部の円筒部にカメラ装置一式があり、先端に準無指向性低利得アンテナが搭載されている<ref name="nssdc1965-010A" />。
 
推進用ロケットはヒドラジン単元推進薬で推進力は224N、ジェットの方向コントロールは4枚のジェット翼で行われていた。高度、姿勢などの制御は3台のジャイロ、主副合わせて6台の太陽センサ、2台の対地センサなどから制御されており、窒素ガスジェットで姿勢を維持した。電源は太陽光電源のほかに銀亜鉛電池からの電気が利用された<ref name="nssdc1965-010A" />。
32行目:
 
== 経過 ==
[[File:ranger-moon-image.jpg|thumb|243px|left|レインジャー8号の撮影した月面、{{仮リンク|サビン (クレーター)|en|Sabine (crater)|label=サビン}}、{{仮リンク|リッター (クレーター)|en|Ritter (crater)|label=リッター}}の両クレーターが見えている]]打ち上げに使われた[[アトラス・アジェナ]]は[[アトラス (ロケット)|アトラス196D]]と[[アジェナ (ロケット)|アジェナB6006]]の組み合わせだった。打ち上げには無事成功し、レインジャー8号とアジェナロケットは地上185kmの[[宇宙待機軌道]]に乗せられた。14分後、アジェナロケットの90秒の点火で[[月遷移軌道]]に乗り、数分後レインジャー8号とアジェナロケットが分離した。分離後、太陽電池パネルと高利得アンテナが展開し、姿勢制御装置が働き始め、UT21;:30分から通信は無指向性アンテナからハイゲイン高利得アンテナに切り替えられた。2月18日、地球から16万kmの位置で中間道操作が行われ、向きの再変更と59秒間のロケット点火が行われた。27分の操作の間、通信機の電力がひどく落ち込み、すべてのテレメトリチャンネルで衛星との照準が失われた。これはロケットの燃焼中断続的に続き、その後通常に戻った。このテレメトリの喪失は影響が軽微であった。月到着の直前に行われる予定であった撮影範囲をより狭めるためのカメラの制御は広範囲の月面を撮影可能にするために中止された<ref name="nssdc1965-010A" />。
 
1965年2月20日に月に到着し、最初の画像は9:34:32 UT に2510kmの高度から撮影された。月面衝突までの23分間にわたって7137枚の高解像度写真が送られた。衝突前最後の画像は解像度1.5mであった。月面に向かっては双曲線軌道で低下し、入射漸近角度は月の赤道から-13.6度であった。軌道面は月の赤道から16.5度傾いていた。発射から64.9時間後の1965年2月20日09:57:36.756 UTに[[月面座標]]N2.67度、E24.65度の[[静かの海]]に衝突した。なお、発表当初はN2.72度、24.61度とされていた。衝突速度は秒速2.68kmより少し小さい程度だった<ref name="nssdc1965-010A" />。