「シモン・ボリバル」の版間の差分

編集の要約なし
ジャマイカに逃れたボリバルは、南アメリカ諸国<ref>ベネズエラ、ヌエバ・グラナダを一つにしてコロンビア共和国を作る。(フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 118ページ)</ref>をイギリスの立憲君主制のような政治システムで自由を勝ち取る構想を元に、'''ジャマイカ書簡'''と呼ばれる著作を執筆した。この書簡を使ってイギリスの援助を求めたが、イギリスはこれを黙殺した。
 
[[1815年]]にボリバルは[[スパニョーラ島]]に渡り、南西部の[[ハイチ南部|ハイチ共和国]]を支配していた[[アレクサンドル・ペション|アレクサンドル・ペティオン]]大統領に軍事的援助を求めた。
解放戦争終了後、黒人奴隷を解放することを条件にペション大統領はこれを認め、物心共に援助を与えた。
 
2,834

回編集