「三菱ダイヤモンド・サッカー」の版間の差分

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当時三菱商事ロンドン支店長だった[[諸橋晋六]](後に三菱商事会長)が、東京12チャンネルの番組審議委員を務めていた[[篠島秀雄]](当時[[三菱化成]]社長、[[日本サッカー協会]]副会長)に対し「日本でも『マッチ・オブ・ザ・デイ』のような番組が必要だ」と進言し、それを受けた篠島が局側に番組制作を提案したことが番組スタートのきっかけといわれている。また解説に岡野が起用されたのも、篠島が[[東京大学運動会ア式蹴球部|東京大学サッカー部]]の後輩である岡野に白羽の矢を立てたことが理由である。
 
内容はヨーロッパの国内リーグ戦やA代表による国際親善試合やFIFAワールドカップ予選などを前後半2週に分けて放送。[[1980年代]]には西ドイツ・ブンデスリーガにてプレーしていた[[奥寺康彦]]の出場試合も随時放送していた。また1980年代以降、タイトルロゴ上部には「[[日本サッカー協会]]推薦番組」の文字が添付され、製作協力として[[ベースボール・マガジン社]]の『[[週刊サッカーマガジン|サッカーマガジン]]』の名もクレジットされていた。
 
[[1974年]]の[[1974 FIFAワールドカップ|ワールドカップ西ドイツ大会]]を全試合放送。決勝の[[サッカードイツ代表|西ドイツ]]対[[サッカーオランダ代表|オランダ]]戦は、他局では[[第10回参議院議員通常選挙|参院選]]の開票速報の最中にも関わらず、生中継が実現され、視聴率は3.7%だった<ref>[[2006年]][[6月25日]][[朝日新聞]]「(天声人語)金子勝彦さんとサッカーW杯」</ref>。低迷期にあった日本サッカーに海外のサッカーを紹介する窓口としての役割を果たした。金子・岡野の名コンビ、また金子のオープニングの口上である「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」も人気を集めた。[[1960年代]]後半から1980年代後半のサッカー少年たちのバイブル的番組でもあった。
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== 第2期 ==
[[1993年]]4月に[[川平慈英]]をキャスターに[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]情報番組として復活。金子もコメンテーターとして出演した。その他に[[川原みなみ|岩崎由実]]、[[佐々木明子]](テレビ東京アナウンサー)、[[大仁邦彌]]らが出演した。[[1995年]]3月でJリーグ情報番組としては終了。翌4月からは[[広域放送|関東]][[ローカル番組|ローカル]]で海外のサッカー情報を提供する番組として存続した。[[1996年]]4月からは[[テレビ北海道]]でも9日遅れでネットしていた。
 
=== 放送時間 ===
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[[2008年]][[11月16日]]に、[[TBSテレビ|TBS]]系列の『[[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]]』で当時の再現放送が行われた。
 
[[2014年]][[6月18日]]には『[[2014 FIFAワールドカップ]]DAILY』内でグループC 「[[サッカーコートジボワール代表|コートジボワール]]VS[[サッカー日本代表|日本]]」の試合を実況•金子勝彦と解説•岡野俊一郎で復活した。
 
== 備考 ==