「カルメン・マキ」の版間の差分

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翌[[1969年]]に「[[時には母のない子のように]]」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして哀愁のある歌いっぷりが話題を呼んだ。「本当に親のいない子供にとっては残酷な歌」と言う批判の声があったものの、累計で[[ミリオンセラー]]<ref>[[富澤一誠]]『フォーク名曲事典300曲〜「バラが咲いた」から「悪女」まで誕生秘話〜』[[ヤマハミュージックメディア]]、2007年、57頁。ISBN 978-4-636-82548-0</ref>
の大ヒット。この曲で[[第20回NHK紅白歌合戦]]への出場も果たす。ステージには[[ジーンズ]]姿で登場し、司会者に「ジーパンもステージ衣装になる時代が来ました」と紹介された。ちなみに、当時の彼女の曲の[[作曲]]は[[武満徹]]や[[クニ河内]]が、[[作詞]]は前述の寺山修司や[[谷川俊太郎]]が、それぞれ手がけている。
 
これ以降も個性派歌手として活動し、6枚の[[シングル]]と3枚のアルバムをリリースする。前述の「時には母のない子のように」の他にも「山羊にひかれて」や「私が死んでも」「戦争は知らない」と言った[[ヒット曲]]が出た。