「江川事件」の版間の差分

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* 江川に対する[[メディアスクラム]]は激しく、江川家はしばらくカーテンを閉め切った生活を余儀なくされた。江川は当時の新聞の閲覧を避けていたが、江川の引退後に伝記漫画を描いた[[本宮ひろ志]]が、当時の[[スポーツ新聞]]を、もう時間もたったから大丈夫だろうと取材時に江川に見せたところ、江川はトイレで嘔吐してしまったという<ref>[[実録たかされ]]</ref>。
* 江川の妻は江川が巨人して3年目の1981年、日本一のV旅行でハワイを訪れた際に開かれた婦人の食事会で、某主力選手の婦人から「うちの主人はあなたのご主人(江川のこと)が嫌いだからわざと打たないようにしていた」と告白され困惑したという<ref>江川卓著「たかが江川、されど江川」より</ref>。
* 西本、新浦、堀内など当時の巨人投手陣は江川の入団を心よしとはしなかった。特に西本は江川入団による先発ローテーション喪失の危機感からライバル心をむき出しにしたことを明らかにしたほか<ref>西本聖著『長島監督20発の往復ビンタ』<ref>、当時、衰えが見えていた堀内はフロントから背番号18を江川へ譲渡という打診を受けたが断り、江川も背番号18を付けることを辞退したという。
 
 
 
 
== 脚注 ==