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秦末期の斉の国王
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田 儋(でん たん、? - 紀元前208年)は、秦末期の斉の国王。子に田市。従弟に田栄、田横。『史記』に列伝として立てられている。
経歴
狄の出身で斉を支配した田氏の後裔。紀元前209年に陳勝・呉広の乱が起こって中国全土が騒乱状態になると、秦配下の狄の県令を殺して自ら斉王となって自立した。さらに陳勝が斉平定のために派遣していた周市の軍勢も破って斉を平定した。紀元前208年、秦の将軍・章邯率いる秦軍が魏王の魏咎を攻めた際、魏咎の要請に応じて援軍を率いて出兵したが、章邯に敗れて戦死した[1]。
死後、従弟の田栄により子の田市が斉王に擁された。しかし秦滅亡後に田氏で内紛が起こり、田市は田栄に殺された[2]。