「Ju 52 (航空機)」の版間の差分

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Ju 52は第二次大戦開戦までの[[1930年代]]にかけて、[[ルフトハンザ]]社の主力[[旅客機]]として多用され、[[ベルリン]] - [[ローマ]]間を8時間で結ぶなど各路線で活躍した。また、友好国の[[フィンランド]]や[[スペイン]]にも輸出され、各国の[[航空会社]]で使用された。輸出型も造られ、[[プラット・アンド・ホイットニー R-1340]]エンジンや、[[ブリストル ペガサス]]・エンジンに換装された機体もあった。
 
軍用では、[[1936年]]に勃発した[[スペイン内戦]]で[[フランコ体制下のスペイン国 (1939年-1975年)|スペイン]]側や[[コンドル軍団]]が運用した。一部は銃座や爆弾倉を有する[[爆撃機]]として使われ、[[ゲルニカ]]爆撃に用いられたのも当機である。第二次世界大戦では[[ドイツ空軍]]の主力輸送機として、[[電撃戦]]での[[空挺部隊]]降下や、戦術輸送に多用されたが、低速で[[武装]]が貧弱であるため多くが撃墜された。
 
Ju 52は、[[1930年代]]後半以降は時代遅れの感が強い機体であったが、第二次世界大戦終了までドイツ軍輸送機の主力であり続けた。これはこの機の高い信頼性や扱いやすさによるものだったが、戦況の悪化により、ドイツがより近代的な輸送機を量産できなかったことも理由である。終戦までに軍・民合わせて4,800機あまり<!--5,415との情報も-->が生産された。