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{{参照方法|date=2012年6月}}
'''10.19'''(じってんいちきゅう)とは、[[1988年]][[10月19日]]に[[川崎球場]]で[[ダブルヘッダー]]により行われた[[日本野球機構|日本プロ野球]]の[[パシフィック・リーグ]]、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]<ref group="注">現在の千葉ロッテマリーンズ</ref>(以下、「ロッテ」)対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]<ref group="注">後の大阪近鉄バファローズ</ref>(以下、「近鉄」)の試合である。
 
近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]<ref group="注">現在の埼玉西武ライオンズ</ref>(以下、「西武」)の優勝が決定するという状況のもと、近鉄が第2試合引き分け、西武のリーグ優勝となった。川崎球場は満員となり、第2試合途中から急遽全国的にテレビ中継放送され(近鉄の地元、関西地区では第1試合開始当初から中継)、高視聴率を記録した。<ref name="70years1988">{{Cite book|和書
|author = ベースボール・マガジン社
|year = 2004
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2010年に[[日本野球機構]]が行った「最高の試合」「名勝負・名場面」調査では、監督およびコーチ、報道関係者の両者が「最高の試合」の第2位にこの試合を選んでいる<ref>[http://fan.npb.or.jp/slogan/2010/#/game?q=g_st 「最高の試合」「名場面・名勝負」監督、選手らが選ぶ記憶に残る試合] 日本野球機構特別ウェブページ「ここに、世界一がある。」</ref>。
 
とおり、「10.19の続編」などと言われることがある[[#翌年の10.12]]もこの項で述べる含む
 
== 10月19日直前の状況 ==
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しかし、その後ゲーム差が少なくなり、[[10月4日]]には西武が負けて近鉄が勝ったため、2位近鉄に優勝への[[マジックナンバー (野球)|マジック]]14が点灯、翌日の試合にも勝ち、首位に立っている。
 
その年の天候や川崎球場特有のグラウンドコンディション問題影響もあり対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]戦の雨天順延が続いた一方、10月22日に日本シリーズの開幕が決まっていたため、近鉄は10月7日から19日にかけての13日間で15連戦(10、19日はダブルヘッダー)、一方の西武も7日から16日まで10連戦を戦った。7日・8日に近鉄と西武の直接対決で西武が連勝し再び首位となり近鉄と2ゲーム差となるが、そこから13日までに西武は4勝1敗、近鉄が対ロッテ戦6試合に全勝として、近鉄のマジックが点灯のまま減っていった。14日から16日はともに勝ち、負けが続き、16日、西武は全日程を終了した。
 
近鉄は17日に阪急に敗れたため、優勝するためには残る対ロッテ戦3試合に全勝するしかなく、引き分け1つも許されない状況に追い込まれた。近鉄は[[阪急西宮スタジアム|阪急西宮球場]]から宿舎([[京都市|京都]])に移動するバスの車内で、[[佐々木修 (野球)|佐々木修]]が音頭を取り、近鉄バファローズの球団歌を全員で合唱した<ref name="number790_1019">Sports Graphic Number 790 35頁-39頁</ref><ref name="ohgi22_33">仰木『燃えて勝つ』 22頁-33頁</ref>。翌日の18日、近鉄は川崎球場で行われた対ロッテ戦に12対2で勝利し、10月19日を迎える。
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さらに売店は、当時の川崎球場は施設そのものの老朽化が進んでいた上に普段から観客数が少なかったことから設置数が元々少なく、全ての売店がメインスタンドのネット裏周辺のみに集中して設けられており、外野スタンドには物販スペースが一切設けられていなかった。また売り子による巡回販売も行われていなかったため、観客は自ら売店へ足を運ぶ必要があった。そのため、1階スタンド下の売店と場外のうどん店・ラーメン店・お好み焼き店や自動販売機には場内の観客が次々と詰め掛けて長蛇の列をつくった。更に第1試合と第2試合の間のインターバルが夕食の時間とほぼ重なったため、第2試合が始まる頃にはほとんどの食べ物、飲み物が売り切れ、食事をとるのに支障が出てしまった<ref name="sano 87_" />。
 
また当時の川崎球場のトイレは全て男女共用で、実際に女性が利用できる場所はネット裏1階の実質1箇所のみであったが鍵が壊れた状態であった。試合後、施設やサービス面について球団や川崎市に苦情が数多く寄せられたため、翌1989年秋から([[川崎球場]]改修工事に着手することとなる項目も参照)
 
([[川崎球場]]の項目も参照)。
 
この日の川崎球場には「本日仰木胴上げ日」という横断幕を掲げて応援するファンもいた<ref name="number30th"/>。観客の9割近くが各地から動員された近鉄ファンなど近鉄を応援する人々であった。また、ホーム側の応援席にはロッテの勝利を願う西武ファンもいたため、本来のロッテファンが占める割合はさらに少なかったことになる。
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{{main|オリックス・バファローズ#オリックス時代}}
 
<!--=== 試合翌日の一般紙・スポーツ紙の対応 ===
出典引用への疑問へ未対応--><!--10月20日のスポーツ紙は[[日刊スポーツ]]と[[サンケイスポーツ]]が「阪急身売り」を一面で取り上げた。セ・リーグ覇者の中日の親会社のスポーツ紙「[[中日スポーツ]]」の一面は「待っていろ西武」という内容だった。また、「10.19」「西武V4」を一面に取り上げたスポーツ紙もあった。
 
一方、10月20日の一般紙はほとんどの新聞「阪急身売り」を一面に取り上げたほか一面や目次に小さく「西武優勝(4連覇、V4)」は小さく掲載、社会面や運動スポーツ面に10.19や西武優勝などの詳細を掲載させた。[[日本経済新聞]]のようにリーグ優勝決定を一面に掲載しなかった新聞社もあった。また、日経は社会面で「信じられない」というファンの声を掲載、[[朝日新聞]]は社会面で10.19を評価したが、有藤の抗議を「すばらしい試合の中であの抗議だけは非常に残念でならなかった」と批判。また時間制限による引分制度にも苦言を呈した。毎日新聞の社会面では近鉄ファンの盛り上がりぶりを掲載したが、試合当日に[[ダフ屋]]行為が行われ逮捕者がいたことも伝えている。また朝日新聞は{{要出典範囲|日本シリーズが開幕する10月22日付でも「日本シリーズでも10.19のような白熱したゲームを期待したい」とした。|date=2013年12月|title=記事データベース「聞蔵IIビジュアル」ではヒットがありませんでした。記事名、掲載面などの明示が必要かと思います。}}-->
 
== 翌年の10.12 ==
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[[Category:埼玉西武ライオンズ]]
[[Category:1988年の野球]]
[[Category:1989年の野球]]
[[Category:川崎市のスポーツ史]]