「マカロニ・ウェスタン」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Help:箇条書き、英数字は半角で。無駄な全角スペースも除去。 |
||
9行目:
最初にイタリア製西部劇を撮ったのは[[セルジオ・コルブッチ]]のほうで、1963年、『[[荒野の用心棒]]』より一年も前にロバート・ミッチャムの息子ジェームズ・ミッチャムを主役にしてMassacro al Grande Canyonという西部劇を撮っている。
マカロニ・ウェスタン発生の先駆となったのは一つにはカール・マイ西部劇と言われる、一連の西ドイツ映画があげられる。
このように西ドイツ製西部劇がマカロニウェスタンの片親だとすると、もう一方の親はイタリア史劇映画、俗に「サンダル映画」と呼ばれた一連の映画である。
18行目:
つまりレオーネがいきなり無からマカロニウェスタンを発明したのではない。それなのにレオーネが「マカロニウェスタンの創設者」といわれるのは、このジャンルの基本路線を決定したのがレオーネだからである。
その基本路線とは「アンチ・アメリカ西部劇」である。ドイツにはEdelwestern「高級西部劇」という言葉があるが、当時のアメリカ西部劇、ハワード・ホークスやジョン・フォードなどの西部劇は主人公が高潔で、ストーリーもピューリタン的、清浄で見ていて気分がよくなるようなものだった。
また、レオーネの『荒野の用心棒』は映画音楽と絵との関係も変えた。いままでのように常にバックに流れていたオーケストラでなく、「音で絵を描く、セリフの代わりに音楽にストーリーを語らせる」方式にしたのだ。
26行目:
役者として招いていたハリウッドのB級俳優の中には、まだ売り出し中の[[クリント・イーストウッド]]や[[バート・レイノルズ]]の姿もあり、また、ハリウッドでは悪役専門だった[[リー・ヴァン・クリーフ]]が主人公に据えられたりした。イタリア人の俳優では、[[フランコ・ネロ]]や[[ジュリアーノ・ジェンマ]]が有名であるが、この「アンチ・アメリカ西部劇路線」は後にマカロニウェスタンの中で二つのサブジャンルを生み出した。
一つは「メキシコ革命もの」と言われる作品群で、アメリカではなく、メキシコ、あるいはアメリカとメキシコの国境付近を舞台に、フアレスなどが率いたメキシコ革命を扱ったもの。
もう一つのサブジャンルは、[[エンツォ・バルボーニ]]などに代表させられるドタバタ喜劇路線。これが出てくる1970年代とは、1969年ごろにその頂点に達した以後マカロニウェスタンがはっきり衰退期に入った時期だが、このドタバタ路線はある程度の成功を記して、いまだにファンも多い。この時期に有名になったのが「オリバー・ハーディ&スタン・ローレル以来の最大のギャグコンビ」といわれる[[バッド・スペンサー]]と[[テレンス・ヒル]]である。この二人を最初に共演させたのはバルボーニ、と思われることが多いが、最初にこのコンビを「発掘」したのは実は[[ジュゼッペ・コリッツィ]]で、その映画はハード路線のマカロニウェスタンである。
41行目:
本来、西部劇という言葉は「米国の[[西部開拓時代]]を舞台にした物語」を指す語であるから、マカロニ・ウェスタンは「中米劇」とでも言うべきものである。しかしながら文化風俗的に正統派のアメリカ西部劇と同様の物で演じられるので、ウェスタン(西部劇)の名が冠されたと思われる。
-->
== 黄金期と衰退期 ==
『荒野の用心棒』が世界中で爆発的な人気を博すると、イタリアでは[[1965年]]頃から500本以上にのぼる作品が量産されるようになる。
62 ⟶ 61行目:
== 主な監督 ==
*
**
*ジュゼッペ・コリッツィ
**
▲*ジュゼッペ・コリッツィ - 元作家志望で、脚本家から監督になった。テレンス・ヒル、バッド・スペンサーで3本のマカロニウェスタンを撮っている。その3本とも音楽は『[[鉄道員]]』の[[カルロ・ルスティケリ]]が担当。コリッツィが発見したヒル・スペンサーのコンビは後にバルボーニが引き継いだ。
* [[セルジオ・コルブッチ]]
▲** 作品 - 『[[Dio perdona .. io no!]] 』(1967年)(劇場未公開)、 『荒野の三悪党』[[I quattro dell'Ave Maria]] (1968年)、 『[[La collina degli stivali]] 』(1969年)(劇場未公開)
▲* [[セルジオ・コルブッチ]] - マカロニ・ウェスタン独特のスタイルを確立した。 マカロニウェスタン作品数も最も多く、陰鬱な作品からコメディまで作風も幅広い。アイディアに富んだ娯楽作品を多数連発した。
** 主な作品 - 『[[続・荒野の用心棒]]』(1966年)、『さすらいのガンマン』(1966年)、『殺しが静かにやってくる』(1968年)、『ガンマン大連合』(1970年)
*エンツォ・ジロラーミ(またはエンツォ・カステラーリ)-
**
▲*エンツォ・ジロラーミ(またはエンツォ・カステラーリ)- 1966年にレオン・クリモフスキーのマカロニウェスタン『Pochi dollari per Django』で非公式の助監督をした後、『荒野のお尋ね者』Sette Winchester per un massacro(1967年)でデビューした。中堅作品が多い。 作曲家のフランチェスコ・デ・マージとよく組んでいる。ずっと後になってから(1993年)フランコ・ネロでマカロニ・ウェスタンを撮ったのもジロラーミ。
*[[セルジオ・ソリーマ]] - レオーネ、コルブッチと並ぶ重要な作家で、
▲** 作品 - 『荒野のお尋ね者』Sette Winchester per un massacro(1967年)、Quella sporca storia nel West (1967年)(劇場未公開)、『黄金の三悪人』 Vado, l'ammazzo e torno(1967年)、『七人の特命隊』Ammazzali tuti e torna solo (1968年)、 『Tedeum 』(1972年)(劇場未公開)、 『ケオマ・ザ・リベンジャー』Keoma (1976年)(劇場未公開)、 『ジョナサン・ベア』Jonathan degli orsi (1993年)(劇場未公開)
** 作品 - 『[[復讐のガンマン]]』[[La resa dei conti]](1966年)、『[[血斗のジャンゴ]]』[[Faccia a faccia]](1967年)、『[[続・復讐のガンマン]]』[[Corri uomo corri]](1968年)
*[[ダミアーノ・ダミアーニ]]
▲*[[セルジオ・ソリーマ]] - レオーネ、コルブッチと並ぶ重要な作家で、3本のマカロニ・ウェスタンを作った。特に一作目の『[[復讐のガンマン]]』(1967年)は高い評価を受けている。レオーネの作風を受け継いだヴァレリや、これ見よがしにレオーネに対抗して見せたコルブッチと違い、ソリーマは最初から中立で独自の路線を貫き、テーマも社会的なものである。レオーネはクリント・イーストウッド、コルブッチはフランコ・ネロを起用して成功したが、ソリーマは全作品で[[トマス・ミリアン]]を主役に立てている。
** 作品
*ドゥッチョ・テッサリ - ドキュメンタリー映画からサンダル映画出身。ジュリアーノ・ジェンマを使った『続・荒野の一ドル銀貨』Il ritorno di Ringoはマカロニウェスタンの名作だが、これはホメロスのオデュッセイアの最後の部分をそのままストーリーにしている。1985年に再びジュリアーノ・ジェンマで西部劇を撮った。
** 作品 - 『夕陽の用心棒』[[Una pistola per Ringo]](1964年)(劇場未公開)、『続・荒野の一ドル銀貨』[[Il ritorno di Ringo]](1965年)、『荒野の大活劇』[[Vivi o preferibilmente morti]](1969年)、『新・脱獄の用心棒』Viva la muerte ... tua!(1971年)(劇場未公開)、『魔境のガン・ファイター』Tex e il Signore degli abissi(1985年)(劇場未公開)
▲*[[ダミアーノ・ダミアーニ]] - 政治社会問題を得意のテーマとした正統派の監督・脚本家。ジャン・マリア・ヴォロンテ、クラウス・キンスキーで撮った『群盗荒野を裂く』Quién sabe?(1966年)も社会派路線を貫き、大ヒットした。1975年にセルジオ・レオーネの誘いを受けて再度『ミスター・ノーボディ2』Un genio, due compari, un polloというマカロニウェスタンをテレンス・ヒルで撮ったが、1作目ほどの成功はおさめなかった。
*エンツォ・バルボーニ(またはE.B.クラッチャー) - カメラマン出身で、『続・荒野の用心棒』でも撮影を担当し、1969年から監督としてマカロニウェスタンを撮りはじめた。
**作品 - [[Ciakmull - L'uomo della vendetta]]
*
**
▲*エンツォ・バルボーニ(またはE.B.クラッチャー) - カメラマン出身で、『続・荒野の用心棒』でも撮影を担当し、1969年から監督としてマカロニウェスタンを撮りはじめた。 最初はハード路線であったがテレンス・ヒルとバッド・スペンサーを使ったコメディ・マカロニウェスタン『風来坊/花と夕日とライフルと』[[Lo chiamavano Trinità]]で大ヒットを飛ばした後は喜劇に転向した。
▲**作品 - [[Ciakmull - L'uomo della vendetta]] (1969年)(劇場未公開)、『風来坊/花と夕日とライフルと』[[Lo chiamavano Trinità]] (1970年)、 『風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー』[[Continuavano a chiamarlo Trinità]] (1971年)、 『自転車紳士西部を行く』[[... e poi lo chianarono il magnifico]] (1972年)、 『[[Trinità & Bambino ... e adesso tocca a noi!]]』 (1995年)
*[[セルジオ・レオーネ]] - イタリア製西部劇を「マカロニ・ウェスタン」という一つの映画ジャンルとして確立した事実上の創設者。海外の映画作家に多大な影響を与えた。俳優の顔の極端なアップや特徴的なロングショットなどを使ったアクの強い画像で知られる。
** 作品 - 『[[荒野の用心棒]]』[[Per un pugno di dollari]](1964年)、『[[夕陽のガンマン]]』[[Per qualche dollaro in più]](1965年)、『[[続・夕陽のガンマン]]』[[Il buono, il brutto, il cattivo]](1966年)、『[[ウェスタン]]』[[C'era una volta il West]](1968年)、『[[夕陽のギャングたち]]』[[Giù la testa]](1971年)
* {{仮リンク|トニーノ・ヴァレリ|en|Tonino Valerii}} - 『夕陽のガンマン』でレオーネの助監督を務め、『さすらいの一匹狼』でデビューしたので、レオーネの影響を強く受けているが、レオーネよりもマイルドな作風である。
** 作品 - 『さすらいの一匹狼』[[Per il gusto di uccidere]](1966年)、『[[怒りの荒野]]』[[I giorni dell'ira]](1967年)、『[[復讐のダラス]]』[[Il prezzo del potere]](1969年)、『[[ミスター・ノーボディ]]』[[Il mio nome è Nessuno]](1973年)
100 ⟶ 89行目:
*『[[夕陽の用心棒]]』(1965年 / 監督 : [[ドゥッチョ・テッサリ]] 出演 : [[ジュリアーノ・ジェンマ]]、ジョージ・マーティン)
*『[[荒野の1ドル銀貨]]』(1965年 / 監督 : カルヴィン・J・バジェット 出演 : ジュリアーノ・ジェンマ、イヴリン・スチュアート、ピーター・クロス)
*『[[続・荒野の1ドル銀貨]]』(1965年 / 監督 : ドゥッチョ・テッサリ 出演 : ジュリアーノ・ジェンマ、ジョージ・マーティン)
*『[[続・夕陽のガンマン|続・夕陽のガンマン/地獄の決斗]]』([[1966年]] / 監督 : セルジオ・レオーネ 出演 : クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、[[イーライ・ウォラック]])
*『[[続・荒野の用心棒]]』(1966年 / 監督 : セルジオ・コルブッチ 出演 : フランコ・ネロ、ロレダーナ・ヌシアク、エドゥアルド・ファハルド)
112 ⟶ 101行目:
*『[[さすらいのガンマン]]』(1967年 / 監督 : セルジオ・コルブッチ 出演 : [[バート・レイノルズ]]、ニコレッタ・マキャベリ)
*『[[星空の用心棒]]』(1967年 / 監督 : スタン・ヴァンス・ 出演 : ジュリアーノ・ジェンマ、コンラート・サン・マルティン、フランシスコ・ラバル)
*『[[血斗のジャンゴ]]』(1967年 / 監督 : セルジオ・ソリーマ 出演 : ジャン・マリア・ヴォロンテ、トーマス・ミリアン)
*『[[殺しが静かにやって来る]]』([[1968年]] / 監督 : セルジオ・コルブッチ 出演 : ジャン=ルイ・トランティニャン、クラウス・キンスキー)
*『[[復讐のガンマン]]』(1968年 / 監督 : セルジオ・ソリーマ、出演 : リー・ヴァン・クリーフ、トーマス・ミリアン)
128 ⟶ 117行目:
* [[イタリアの映画]]
{{デフォルトソート:まかろにうえすたん}}
[[Category:マカロニ・ウェスタン|*]]
[[Category:イタリアの映画]]
[[Category:和製英語
{{Link GA|pl}}
|