「広島文理科大学 (旧制)」の版間の差分

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'''永懐閣'''(えいかいかく)は、[[1925年]]10月11日、広島高師の初代校長である[[北条時敬]]校長の転任を記念して[[尚志会|尚志同窓会]]によって建造されたのち高師に寄付され教育博物館として使用されたレンガ造・2階建ての建物である。広島では初めての本格的[[ゴシック様式|ゴシック]]風建造物であり、設計・施工は県立広島職工学校(現・[[広島県立広島工業高等学校]])が担当した。高師(文理大)正門(現在の東千田キャンパス正門)に向かって右側の電車通りに面する地点<ref>当時の住所は東千田町内。現在は中区千田町一丁目1番</ref>に位置し、当初は展示室・貴賓室のほか[[ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ|ペスタロッチ]]研究室が設置されたが、文理大の発足にともない一時閉鎖されたのち、[[1934年]]1月には同校の附属教育博物館に転用された。
 
その後、永懐閣は博物館としては開店休業状態になっていたが、[[1944年]]8月に[[#理論物理学研究所|附属理論物理学研究所]]が設置されると同研究所の所屋として使用された。原爆被災時には爆心地から1.6㎞の位置にあり、爆風によって東西のレンガ壁と尖塔アーチを残してすべて崩壊した。このため詳細な時期は不明だが、戦後ほどなくして解体・撤去された<ref>以上、『ヒロシマの被爆建造物は語る』p.140、『ヒロシマをさがそう』p.148。</ref>。
 
== 原爆による被害 ==