「婦女隊」の版間の差分

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Andee (会話 | 投稿記録)
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薙刀で突進した中野竹子は額に銃弾を受けて戦死した。首級は新政府軍に奪われることをよしとしなかったので、妹中野優子はすでに息絶えた姉を介錯<ref>母のこう子または農兵が介錯したとする説もある。</ref>してその首を白羽二重に包んで回収した<ref>中野竹子の薙刀には「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」と辞世を記した短冊が結ばれていたという。「新説戦乱の日本史」</ref>。なお、竹子は胸を撃たれて倒れたという説もあり、その場合はまだ息があって自ら優子に介錯を頼んだという話となる。
 
軍事奉行添役として[[鳥羽・伏見の戦い]]の不手際で自害させられた[[神保修理]]の未亡人で、美貌で知られた神保雪子は、同じく戦死したとも、捕縛されたとも言う。一説には、雪子は大垣兵に生け捕りにされ、会津坂下長命寺に幽閉されたが解放されないので()脇差で自刃したという<ref>{{Citation |和書| last=松邨|first=賀太|editor=| year =2005|title =開化期の若き啓蒙学者達 |publisher =文芸社|isbn=4835586166|page=138}}</ref>。経過は不明だが、いずれにしてもこの日に彼女も死亡した。
 
残る婦女隊は、衝鋒隊、町野隊らに従い、高瀬村まで退却した。ここで萱野権兵衛は軍奉行[[柴太一郎]]と共に婦女隊を見舞った。血潮に染まった衣服で薙刀に初陣の手柄の跡が残っていると言う面々に涙を流して感服したが、「今日の実戦は大筒小筒の争いである」と諭して「婦女子が戦場の露と消えるは我らの本意にあらず」と再度説得。隊長格をすでに失った婦女隊は事実上、解散となった。