「留岡幸助」の版間の差分

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==生涯==
[[岡山県]][[高梁市]]に生まれる。[[吉田万吉]]、トメの子の6人兄妹の次男として生まれ、生後まもなく、留岡家の養子となる。留岡家は、米屋を営んでいた。子供同士の喧嘩で武家の子供を怪我させ、商いに支障が出て、養父から厳しい折檻を受け、家出。高梁にある[[日本基督組合教会]]の[[高梁基督教会堂|キリスト教会]]に逃げ込み、その伝で[[福西志計子]]の元に匿われ、のち18歳で[[上代知新]]牧師より洗礼を受ける。
 
徴兵検査は不合格、[[1885年]](明治18年)[[同志社]]英学校別科神学科邦語神学課程に入学。[[新島襄]]の教えを受ける。京都での学生時代、[[徳富蘆花]]と交友を結ぶ。彼の小説『黒い眼と茶色い眼』の中に登場する「邦語神学の富岡君」は留岡がモデルだといわれる。[[1888年]](明治21年)卒業後、[[福知山]]で教会牧師となる。