「渡辺雄二 (ボクサー)」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[]][[1990年]]5月14日、プロデビュー(初回KO勝ち)。
 
[[1991年]]10月14日、7戦目で日本王座初挑戦。世界挑戦を目前に控えた日本スーパーフェザー級王者[[赤城武幸]]に挑み、2回KO勝ち。王座奪取に成功し、赤城に替わって世界戦線入りを果たす。[[1992年]]1月11日には初防衛に成功し、6月8日付で王座返上。
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1992年11月20日、プロデビュー以来10戦全KO勝ちの戦績を引っ提げて、[[指名試合|指名挑戦者・1位]]として世界初挑戦。[[東京体育館]]においてWBA世界スーパーフェザー級王者[[ヘナロ・エルナンデス]](米国)に挑んだが、技巧派王者の前に得意の強打を発揮できず。開始早々から一方的に打ち込まれ、6回レフェリーストップによるTKO負け。王座獲得に失敗し、プロ初黒星を喫した。
 
[[1993年]]8月30日、東京体育館で行われた再起2戦目でマルコス・ゲバラ([[ベネズエラ]]・世界6位)との世界ランカー対決(渡辺は7位)に臨むが、7回TKO負け(同興行では同い年で高校時代からの親友で早大5年生[[三谷大和]]が6回戦デビュー)。この敗戦で世界戦線から脱落。その後、1年余りリングから遠ざかる。
 
[[1994年]]9月12日の再起戦以降は1階級下のフェザー級で戦うようになる。
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2000年4月10日、OPBF東洋太平洋ライト級王座決定戦再出場。ステュワート・パターソン([[オーストラリア]])と対戦し、2回TKO勝ちで王座獲得に成功。東洋太平洋王座2階級制覇を達成した。
 
2000年10月2日、初防衛戦で柳昇呼と再戦し、3回KO負けで王座陥落。試合後のリング上で[[引退]]を表明した。[[引退セレモニー]]は2年半後の2003年春
 
現在も引退直後はトレーナーとして斉田ジムに留まり、後進の指導に当たっていた。[[伊藤隆_(キックボクサー)]]とも親交深い
 
== 獲得タイトル ==