「アメデオ・アヴォガドロ」の版間の差分

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1856年7月9日、トリノで没した。
 
アヴォガドロは生涯、ほとんど国外では無名に等しくアヴォガドロの業績が再評価されることになるのは死後から4年後の[[1860年]]のことであり、アヴォガドロの死の直後に著された[[1858年]]、イタリアの化学者、[[政治家]]である[[スタニズラオ・カニッツァーロ]]の論文『{{仮リンク|ジェノヴァ大学|en|GenoaUniversity of UnivercityGenoa}}に於ける化学理論講義概要』、1860年に開催された原子量と分子量の基準がテーマとなっていた[[カールスルーエ国際化学者会議]]でのカニッツァーロの発表を受けて、初めてアヴォガドロが再評価された。
 
== アボガドロの法則 ==