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『女性自身』は安倍首相夫人について捏造記事を書いており「信頼できる情報源」ではない。記事を読んでもまともに取材したとは思えず。
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:[[ファイル:Ichiro Suzuki June 10, 2009.jpg|thumb|200px|right|打席に立つイチロー<br/>2009年6月10日の試合にて。]]
: WBC終了後マリナーズに合流。プレシーズンゲーム数試合に出場したが、WBCの影響から極度の疲労により体調を崩すと、4月3日に精密検査を受けた結果、胃に出血性の[[潰瘍]]が認められ、自身初の[[故障者リスト]]入りとなってしまった<ref>{{cite news |title=Mariners outfielder Ichiro Suzuki to be placed on 15-day DL |newspaper=MLB公式 |date=2009-04-03 |url=http://mlb.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20090403&content_id=4117568&vkey=pr_sea&fext=.jsp&c_id=sea |accessdate=2013-01-04}}</ref>。自身開幕戦となった4月15日のロサンゼルス・エンゼルス戦で[[張本勲]]と並ぶ生涯通算安打の日本記録となる3085安打目を満塁本塁打で記録。同時に日米通算1000[[打点]]も達成した。当日は「[[ジャッキー・ロビンソン|ジャッキー・ロビンソン・デー]]」だったこともあり、この日だけは背番号を42に変更して出場した(なお、当日はイチローに限らず、選手や監督、コーチも背番号を42に変更して出場している)。翌16日には3086安打目を右翼前に放ち、記録を更新。5月にはメジャータイ記録に残り1と迫る通算7度目の20試合以上連続安打。6月3日には自身の持つ球団記録を塗り替える27試合連続安打を記録し、メジャー9年間で最高となる打率.362で前半戦を終了。[[2009年のMLBオールスターゲーム|オールスター]]にも9年連続の選出を果たした。
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: 7月28日の[[トロント・ブルージェイズ]]戦では3対3の同点で迎えた9回、2アウト満塁の場面で[[スコット・ダウンズ]]から自身メジャー初となるサヨナラ打を記録。9月6日、アル・シモンズの1390試合に次いで近代野球史上では2番目の速さとなる1402試合目でのメジャー通算2000本安打を達成。12日のテキサス・レンジャーズ戦では日米通算200号本塁打を達成。翌13日にはウィリー・キーラーが持っていた8年連続200安打を108年ぶりに更新する9年連続200本安打を達成。17日の[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦にて延長14回の場面で自身メジャー2度目のサヨナラ打を記録した。さらに翌18日のニューヨーク・ヤンキース戦にて1−2で迎えた9回裏、2アウト2塁の場面で[[マリアノ・リベラ]]から自身メジャー初となる逆転サヨナラ本塁打を記録した(この試合ではリベラは自身通算1000奪三振を達成した試合であった)(シーズン3度のサヨナラ打、2試合連続のサヨナラ打、逆転サヨナラ本塁打は全て日本人メジャーリーガー初)。26日のトロント・ブルージェイズ戦での5回、1死三塁のチャンスで回った第3打席、[[デビッド・パーシー]]が投じた2ストライクからの外角球を見逃すと判定はストライク。この判定にバットでボールの通過地点を示すなどして抗議。日米通じて自身初の退場処分を受けるなど、本人にとって「初」ずくめの年となった。
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: 移籍当日の“敵地”となった[[セーフコ・フィールド]]でのマリナーズ戦に「8番・右翼」で先発出場。第一打席に先発の[[ケビン・ミルウッド]]から移籍後初[[安打]]・初[[盗塁]]を記録した。移籍当初は[[ニック・スウィッシャー]]が故障離脱していたことに伴い本職の右翼で出場していたが、その間に左翼守備の練習を行ってエリアの広さ、ポジショニング、フェンスなどを確認すると、スウィッシャーの守備復帰以降は予定通り[[左翼手]]で主に起用され、チーム状況に合わせて右翼手や中堅手としても出場。打順は、移籍当初は下位で起用されることが多かったが、9月下旬からは主に2番で起用され、[[デレク・ジーター]]や[[アレックス・ロドリゲス]]と並ぶ打順起用については「そりゃ気持ちいいです。悪い気はしない」と述べた<ref>{{cite news |title=イチロー ジーター、Aロッドに挟まれ「そりゃ気持ちいい」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012-09-24 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/24/kiji/K20120924004184020.html |accessdate=2012-09-25}}</ref>。このシーズンは左投手を苦手としたため、相手先発が左投手の場合はスタメンから外れることも多かったが<ref name="nikkan20120921">{{cite news |title=「ICHIRO」大合唱!NYが認めた |newspaper=日刊スポーツ |date=2012-09-21 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20120921-1020538.html |accessdate=2012-09-25}}</ref>、チームの故障者増に伴い、左投手の場合でのスタメンは増えていった。
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: 7月30日には[[ヤンキースタジアム]]にて、メジャー通算100本塁打となる移籍後初本塁打を記録し、8月16日にメジャー通算300[[二塁打]]を達成。9月3週には、2010年9月以来の通算4度目となる週間MVPを受賞<ref>{{cite news |title=イチロー 4度目の週間MVP受賞 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012-09-25 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/25/kiji/K20120925004191670.html |accessdate=2012-09-25}}</ref>。チームは[[10月3日]]のレギュラーシーズン最終戦に地区優勝を決め、イチローもシーズン最終打席にタイムリーヒットを打った直後に1ゲーム差で追っていた[[ボルチモア・オリオールズ]]が[[タンパベイ・レイズ]]敗れたため地区優勝が決定<ref>{{cite news |title=イチローがヤンキース地区Vに果たした功績 |newspaper=[[スポーツナビ]] |date=2012-10-04 |url=http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/2012/text/201210040004-spnavi.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>。最終的にチームも勝利し、イチローにとっては2001年以来の12年ぶりの地区優勝を決めた。マリナーズとして地区優勝を決めた2001年は、[[9月11日]]に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]の影響でシャンパンファイトを自粛していたため、メジャーでは初のシャンパンファイトを経験することになった<ref>http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/headlines/20121004-00000054-dal-spo.html ''リンク切れ''</ref>。レギュラーシーズン全体の安打数は178安打と去年を下回る自己最低記録ではあったが、打率は.283と昨年を上回った。しかも、マリナーズ時代までは95試合で105安打、4本塁打、打点28、打率.261といった自己キャリア最低記録更新ペースの低迷であったが、ヤンキース移籍以降は67試合で73安打、5本塁打、打点27、打率.322と大幅に改善された。特に本拠地[[ヤンキー・スタジアム]]での成績は打率.359であり、ヤンキー移籍後の本塁打は全てヤンキー・スタジアムでのものであるなど、この年のマリナーズは本拠地で残した成績の打率.261、ホーム[[セーフコ・フィールド]]では全体の打率が.261で、本拠地の打率は.214、移籍前の4本塁打中3本はホームではなくロードゲームで打ったのとは対照的な成績となった。
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: ポストシーズンでは全試合で2番打者として出場。オリオールズとの[[2012年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディビジョンシリーズ]]第1戦では3安打の活躍を見せる。第2戦では二死一塁の場面で[[ロビンソン・カノ]]の[[二塁打]]の間に生還。この場面では、完全にアウトのタイミングで三塁を回ったが(三塁[[ベースコーチ]]は本塁突入を指示している)、相手捕手の[[マット・ウィータース]]のタッチを2回かわしてホームインする活躍を見せた<ref name="ninja">{{cite news |title=イチロー:忍者ホームイン!ジーター驚嘆「骨がないのでは」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012-10-10 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121010spn00m050003000c.html |accessdate=2013-01-04}}</ref><ref>{{cite news |title=忍者イチロー ミラクルっとホームイン |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012-10-09 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121010-1030519.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>。このホームインは各所で話題を呼び、「忍者」と言った呼び方<ref name="ninja"/><ref>{{cite news |title=イチロー「忍者の生還」に全米驚愕!捕手2度かわし技ありホーム |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2012-10-10 |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20121010-OHT1T00052.htm |accessdate=2013-01-04}}</ref>や、映画の[[マトリックス]]にちなんで「Matrix」<ref name="ninja"/><ref>{{cite news |title=Ichiro Suzuki's 'Matrix' slide into home plate gives Yankees early lead against Baltimore Orioles in Game 2 of ALDS |newspaper=[[デイリーニュース]] |date=2012-10-09 |url=http://www.nydailynews.com/sports/baseball/yankees/yankees-insider-ichiro-run-marvel-article-1.1178056?localLinksEnabled=false |accessdate=2013-01-04}}</ref><ref>{{cite news |title=Ichiro makes like 'The Matrix,' deftly avoids tag |newspaper=MLB公式 |date=2012-10-09 |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20121008&content_id=39620038&vkey=news_mlb&c_id=mlb |accessdate=2013-01-04}}</ref>、「サルサダンス」などと呼ばれ大きな反響を呼び<ref name="ninja"/>、[[ESPN]]はこのスライディングを「ひょっとしたらヤンキースの歴史の中でも最高のスライディング(Ichiro Suzuki made perhaps the best slide in the history of the Yankees.)」と報道した<ref>{{cite news |title=Ichiro with the slide of the century |newspaper=[[ESPN]] |date=2012-10-08 |url=http://espn.go.com/blog/new-york/yankees/post/_/id/45811/ichiro-with-slide-of-the-century |accessdate=2013-01-04}}</ref>。[[デトロイト・タイガース]]との[[2012年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]第1戦では、9回に[[ホセ・バルベルデ]]からポストシーズンで初となる本塁打を放つなど6打数4安打4打点の活躍を見せたがチームは敗れ<ref>{{cite news |title=イチロー、2ランなど4安打もヤ軍、延長で初戦落とす |newspaper=[[産経新聞]] |date=2012-10-14 |url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121014/mlb12101415400002-n1.htm |accessdate=2013-01-04}}</ref>、その後チームは四連敗を喫し敗退。敗退後は、「悔しい思いしかないが、こういう本来持っている気持ちを思い出させてもらったことに感謝している。色んなものを僕に与えてくれた。ここでしか味わえないものは確実に存在する」と語った。
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: 2007年にマリナーズと結んだ契約が終了し、プロ入り後初めてFAとなったオフには、イチロー自身が残留を望んでいるとされていたヤンキース<ref>{{cite news |title=イチロー:ヤ軍残留を熱望?勝てるチームと同僚をお気に入り |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012-10-27 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121027spn00m050017000c.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>の他に、[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]<ref>{{cite news |title=イチロー:ジャイアンツが獲得目指す 「まだ数年できる」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012-10-27 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121027spn00m050016000c.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>、[[フィラデルフィア・フィリーズ]]<ref>{{cite news |title=イチロー:フィリーズが上原とのダブル獲得を検討 資金力豊富」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012-11-23 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121123spn00m050013000c.html |accessdate=2013-01-04}}</ref><ref>{{cite news |title=イチロー:フィリーズが正式オファーへ マニエル監督が獲得熱望 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2012-12-10 |url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20121210spn00m050009000c.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>、さらに日本球界では古巣の[[オリックス・バファローズ]]<ref>{{cite news |title=オリックスがイチロー獲得意志を明言 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012-10-31 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121031-1040207.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>と、出身地の[[愛知県]]を本拠地とする[[中日ドラゴンズ]]<ref>{{cite news |title=中日「動きます」イチロー獲得準備 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2012-10-31 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20121031-1040208.html |accessdate=2013-01-04}}</ref>が興味を示す報道があったが、12月19日にヤンキースと2年1300万ドルで契約を結んだことが発表された<ref name="yankeeszannryu">{{cite news |title=イチロー、年俸大幅減でもヤンキースと2年契約 |newspaper=[[読売新聞]] |date=2012-12-20 |url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20121220-OYT1T00232.htm?from=ylist |accessdate=2013-01-04}}</ref>。ヤンキースは1年契約を基本線としていたが、他球団が2年契約を提示していたことが明らかになり、方針転換したと言われる<ref name="yankeeszannryu"/>。一部のファンなどからは背番号を長年慣れ親しんだ51に戻すべきという意見もあったが<ref>{{cite news |title=イチロー、ヤ軍残留決定的 気になる背番号 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2012-12-17 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXZZO49621900W2A211C1000000/?df=3 |accessdate=2013-01-09}}</ref>、引き続き31を着用することとなった<ref>{{cite news |title=骨折のジーター 開幕OK!イチローは今季も背番号31 |newspaper=[[スポーツニッポン]] |date=2013-01-09 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/01/09/kiji/K20130109004936330.htm |accessdate=2013-01-09}}</ref>。
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: 翌年3月に開催される[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回WBC]]については、ヤンキースと再契約する以前の所属球団が決まっていない時期に出場要請を受けたが、[[11月19日]]に参加辞退の意思を正式に表明<ref>http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20121119-OHT1T00164.htm (''リンク切れ'')</ref>。「ボクの中で第2回大会を終えた時点で3回目の出場は考えられませんでした。今日までその気持ちが変わることはなくこういう形になりました」として<ref name="WBC 2013"/>、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]の時点で既に第3回大会への参加は考えていなかったことを明かし、一方で「大会が着実に成長している」ともコメントした<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2013/news/f-bb-tp0-20130320-1100327.html 日刊スポーツ]</ref><ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/mlb/news/20130320-OHT1T00071.htm 報知新聞]</ref>。[[東京スポーツ]]によると、後年イチローは第2回大会決勝戦の打席について「野球人生の中であんなに恐怖を感じた打席はなかった」と語り、次回のWBCの参加はしないという考えを固めていたという<ref name="WBC 2013">{{cite news |title=WBC辞退イチローの本音 |newspaper=[[東京スポーツ]] |date=2012-11-23 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/56218/ |accessdate=2013-01-09}}</ref>。
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; {{by|2013年}}
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イチローは怪我予防の意識が強く、起床から就寝までほぼ同じ行動パターンを繰り返しており、球場入りの時刻や練習の手順まで乱れず行動を一定化している<ref name="kegayobou">{{cite news |title=イチロー選手に学ぶ「ケガを予防する意識」 |newspaper=[[神奈川県]]体育センター |date=2010-01-21 |url=http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f370368/p990.html |accessdate=2012-09-29}}</ref>。また、筋肉が非常に柔らかく、体の柔らかさを高める運動を重視すると共に、クラブハウスでも「[[ソファ]]は腰に負担がかかる」として[[パイプ椅子]]を使用し、また[[スパイク]]を履いたままで[[階段]]を使用すると滑って[[捻挫]]の可能性があるとして必ず[[スロープ]]を使用する、怪我しやすい[[ヘッドスライディング]]をしないといった対策を常に立てている<ref name="kegayobou"/>。
 
また、衝撃緩和のため「力を抜く」ということ(イチローは[[サヨナラゲーム]]でチームメイトが騒いでいる時でも、誰かにぶつかられても衝撃を緩和させるように対策をとっている)や、早く練習を始めて体を多く動かすこと<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXZZO52660510R10C13A3000000/?df=3</ref>、「滑る場所」には徹底的に注意する(イチローは[[宮崎]]のお店の裏の階段や[[雨]]の日の[[新神戸駅]]で滑って[[転倒]]しそうになったエピソードを明かしており、滑りやすい場所では細心の注意を払っている)といったことなど怪我の危険のある場所に大きな注意を払っている<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXZZO52660510R10C13A3000000/?df=3</ref>。
 
イチローは、「何故これ程にまで怪我をしないことにこだわっているのか?」という質問に対しては、「僕、いくらもらっていると思います?」と答えており、自身の年俸の高さなどから来る大きな責任感によるところが大きい<ref>http://www.nikkei.com/article/DGXZZO52660510R10C13A3000000/?df=4</ref>。
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=== 家族 ===
[[File:Suzuki Ichirō and his wife Yumiko.jpg|thumb|MLBオールスターパレードで(2009年)]]
妻は元・[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]の[[福島弓子]]。
妻は元・[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]の[[福島弓子]]。妻とともに資産管理会社を設立し会社を妻に任せている<ref>[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120403-00000303-jisin-ent イチロー夫人「100億円操る」スゴ腕実業家になっていた] - Yahoo!ニュース 2012年4月3日(配信元:女性自身)</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/6433049/ イチローの妻・弓子夫人を心配する声] - livedoorスポーツ 2012年4月3日</ref>。
 
子供はいない。[[柴犬]]を飼っており、非常に可愛がっている。名を「一弓(いっきゅう)」と言い、命名は、自身と妻の名「一朗」「弓子」から一文字ずつを採って「[[wikt:ja:一|一]](いつ)」+「[[wikt:ja:弓|弓]](きゅう)」としたものである。
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マリナーズ時代に長くチームメイトだった[[ラウル・イバニェス]]とは親友で、日本語のジョークを教えたり、イバニェスが37歳で初めてオールスターに選出された際にはお祝いにシャンパンを贈ったという<ref>{{cite news |title=
イチ興奮!イバネス連発でサヨナラ王手
|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-12 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20121012-1031369.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>。2012年にヤンキースで再びチームメイトになった際には、イバニェスが「(イチローとは)親しくしてきたし、最高の選手、最高の人間だ。また一緒にできてうれしい」と話した<ref>{{cite news |title=ジーターもAロッドも歓迎!ナインが大興奮|newspaper=スポーツニッポン |date=2012-07-25 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/25/kiji/K20120725003749960.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>。
 
[[川崎宗則]]は中学生の頃からイチローの大ファンであり、2006WBC日本代表でチームメイトになって以降、合同自主トレを行っている<ref>{{cite news |title=イチローとソフトB川崎が合同自主トレ|newspaper=日刊スポーツ |date=2010-01-19 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20100119-587287.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>。2011年オフ、川崎はイチローと同じチームへの移籍を希望してマリナーズとマイナー契約。スプリング・トレーニングで結果を残して念願の開幕メジャー入りを果たした。しかし、イチローは半年でヤンキースに移籍、このときイチローは川崎の存在について「迷った中の要素」とした上で「一緒の場所にいることが必ずしも一緒にやっているということではない。違うところでも一緒にやれるという考えが僕の中にある」と話した<ref>{{cite news |title=絆は変わらない…イチロー 川崎の存在は「迷った中の要素」 |newspaper=スポーツニッポン |date=2012-07-24 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/07/24/kiji/K20120724003749720.html |accessdate=2012-09-29}}</ref>。イチローと川崎は別チームになってからも合同自主トレを行っている<ref>{{cite news |title=川崎と自主トレのイチ、神戸で震災の日|newspaper=日刊スポーツ |date=2013-01-19 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130118-1073411.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>。WBC日本代表で共に戦った選手では川崎以外に[[今江敏晃]]<ref>{{cite news |title=偉大な先輩|newspaper=今江敏晃 公式サイト|date=2009-09-07 |url=http://pakila.jp/imae/2009/09/07/3508/ |accessdate=2014-09-05}}</ref>、[[青木宣親]]<ref>{{cite news |title=青木披露宴にイチローら豪華ゲスト200人|newspaper=スポーツニッポン |date=2010-12-13 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/ichiro/mlb201012/KFullNormal20101213114.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>、[[松坂大輔]]<ref>{{cite news |title=イチローと松坂が合同自主トレで真剣勝負|newspaper=日刊スポーツ |date=2010-12-22 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20090205-457525.html |accessdate=2014-09-05}}</ref><ref>{{cite news |title=松坂、“恋人”イチと抱擁「話すチャンスがあってよかった」|newspaper=サンケイスポーツ |date=2014-05-17 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20140517/mlb14051705030003-n1.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>、[[内川聖一]]<ref>{{cite news |title=ソフトB内川、イチロー再会パワーもらう|newspaper=日刊スポーツ|date=2013-12-06 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131206-1227571.html |accessdate=2014-09-05}}</ref><ref>{{cite news |title=内川聖一(プロ野球・横浜) ボールが大きく見える|newspaper=朝日新聞 |date=2009-08-25 |url=http://www.asahi.com/special/plus/TKY200908250265.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>[[上原浩治]]<ref>{{cite news |title=無理矢理|newspaper=上原浩治オフィシャルブログ |date=2012-12-11 |url=http://www.koji-uehara.net/2012/12/11/2121.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>らと親しい。
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イチロー始球式で捕手 キャメロン引退式|newspaper=日刊スポーツ |date=2013-01-19 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20120414-933899.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>。同じく元チームメイトの[[マイケル・ソーンダース]]は2011年に結婚した際、イチローがチーム全員集めてお祝いの食事会を開いてくれたと明かした<ref>{{cite news |title=イチローとチームメートとの距離|newspaper=日本経済新聞 |date=2012-05-07 |url=http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO41104280W2A500C1000000&uah=DF251020129546 |accessdate=2014-09-05}}</ref>。
 
マリナーズと同地区球団[[テキサス・レンジャーズ|レンジャーズ]]の顔であった[[マイケル・ヤング (内野手)|マイケル・ヤング]]とは尊敬し合っており、2011年にヤングは「僕はイチローと11年間にわたりライバルとして戦ってきた。彼が僕に一目置いてくれていることは知っている。その気持ちは僕だって同じ。僕のことを『尊敬しています』と簡単に言う人もいるけど、本当にそうなのかどうかは、立ち振る舞い、接し方をみればわかるもんさ。イチローと僕の間には、お互いを真に敬う気持ちがある。イチローと同じ時代にプレイできて幸せだ、彼がいたからこそ、今の僕があると思う」と語っており<ref>{{cite news |title=【MLB】マイケル・ヤング「今年もイチローは高い技術、強い精神力を持っていた」|newspaper=スポルティーバ |date=2011-12-27 |url=http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2011/12/27/mlb_21/index2.php |accessdate=2014-09-05}}</ref>、2014年の引退会見でも「イチローと競い合うのは大変な挑戦だった」と話した<ref>{{cite news |title=ヤング「イチローとの争いは大変な挑戦」
|newspaper=日刊スポーツ |date=2014-02-01 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/f-bb-tp2-20140201-1251799.html |accessdate=2014-09-05}}</ref>。
 
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加藤豪将「イチローさんが人生変えた」|newspaper=デイリースポーツ |date=2013-12-30 |url=http://www.daily.co.jp/opinion-d/2013/12/30/2p_0006606395.shtml |accessdate=2014-09-05}}</ref>。 
 
[[松井秀喜]]との関係については、{{main|松井秀喜#イチローとの関係}} 
 
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