「ロバート・ジョンソン」の版間の差分

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[[1929年]]、まだ16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚し彼女は二人の子を身篭るが、翌[[1930年]]、ヴァージニアは出産の際に子供とともに亡くなってしまう。
 
[[アコースティック・ギター]]一本でブルースを[[弾き語り]]して、アメリカ大陸中を渡り歩いた。当時の聴衆はギターのテクニックが巧みなのに驚き、「十字路で悪魔に魂を売り渡して、その引き換えにテクニックを身につけた」という[[伝説]]が広まった。これがジョンソンいて語られる「'''クロスロード伝説'''」である。
 
[[1936年]][[11月]]、ジョンソンは[[テキサス州]][[サンアントニオ]]で初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングした。[[1937年]][[6月]]には二度目のレコーディングのために[[ダラス]]に赴き、13曲を残している。彼が生涯に残したレコーディングは、この2回の合計29曲(42テイク)だけである。
 
翌1938年8月16日にジョンソンは27歳で死去した。その死因については「ダンスパーティーで知り合った人妻と不倫をしたため、夫により飲み物に[[ストリキニーネ]]を盛られて[[毒#利用|毒殺]]された」、「人妻との情事を夫に目撃され、その場で刺殺された」など諸説あり不明である。ジョンソンの妹は病死だったとしているが、上記のクロスロード伝説では、ジョンソンを殺したものは悪魔であると語り継がれている。亡くなったミシシッピ州グリーンウッドの役場に提出された[[死亡届]]には、死因に「No Doctor」とだけ記載されている。ちなみにその年の暮れ、その事実を知らなかったプロデューサーの[[ジョン・ハモンド]]が[[カーネギー・ホール]]での開催を予定していた「スピリチュアル・トゥ・スウィング・コンサート」にジョンソンを出演させるため、捜し回ったというエピソードが伝えられている。
 
[[1961年]]にジョンソンのレコーディングがLP『King of Delta Blues Singers』でリリースされ、ジョンソンの音楽は再び注目を集めるようになった。
[[2011年]]には、『The Complete Recordings』をリマスターして、『The Complete Recordings』に未収録だった「Traveling Riverside Blues」の別バージョンも収録した『The Centennial Collection』がリリースされた。『The Complete Recordings』と比較するとノイズが増えたが、音質が向上した。
 
ジョンソンは他に1人の息子をもうけており、彼の[[孫]]は今もヘイズルハースト近郊に住んでいる。
 
== ディスコグラフィー ==