「ジャン・ボードリヤール」の版間の差分

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[[1990年代]]には[[写真家]]、[[写真評論家]]としても活躍し、写真評論集として『消滅の技法』などがある。
 
[[2001年]][[9月11日]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]前から[[ワールドトレードセンター]]のツインタワーについて考察し、[[ディズニーランド]]や[[湾岸戦争]]からは[[サダム・フセイン]]の[[イラク]]と[[イスラム教]][[グローバリゼーション]]と[[テロリズム]]からを題材に[[アメリカ]]自身が持つ問題を積極的に論じた。[[1992年]]の『The Illusion of the End』(未邦訳)では当時の[[フランシス・フクヤマ]]の[[歴史の終わり]]に代表される[[リベラリズム]]への楽観的な見方について批判をしている。
 
ボードリヤールの哲学は芸術の分野に影響を与え、1980年代の[[ニューヨーク]]で台頭した[[シミュレーショ二ズム]]の精神的支柱になっており<ref>Sylvére Lotringer. “Better Than Life, My 80’s” Artforum, 41; 8, April 2003:194-197 and 252-253.</ref>、映画[[マトリックス (映画)|マトリックス]]のもとにもなった。取り分け[[ウォシャウスキー兄弟|ウォシャウスキー]]監督は非常にボードリヤールを意識しており、主演の[[キアヌ・リーヴス]]などキャスト、クルーのほとんどは『シミュラークルとシミュレーション』を読まされ、台本にもボードリヤールの名前が頻繁に出ている。映画の中でもハードカバーで『シミュラークルとシミュレーション』が映るシーンがある。2作目の制作に入る前に監督はボードリヤール本人に助言を求めたが、ボードリヤール自身は拒否したという。
 
== 日本との関係 ==
[[今村仁司]]らにより邦訳も多く出され、日本ではとくに[[ニューアカ]]ブームの1980年代に人気の思想家だった。[[堤清二]]はボードリアールの著作『消費社会の神話と構造』などに触発されて1980年に[[無印良品]]を始めた<ref>日本経済新聞、2007年3月9日</ref>。1981年に来日し、シンポジウム「ボードリヤール・フォーラム東京81 象徴交換とシミュレーションの時代」を当時若者・消費文化を牽引していた[[西武百貨店]]で開催し、広く注目された。[[阪神・淡路大震災]]の直後に来日し、「(日本)国家がこれだけ豊かになったのは、市民がそれだけ貧しい状態に置かれていたにすぎなかったからだ」と感想を述べ<ref>[http://yassy.system-a.org/hisyo/speech/ms010523.htm 田中知事講演]内外情勢調査会長野支部・松本支部、2003年</ref>、富の蓄積はあっても国内での富の再配分に問題があるのではないかと指摘した。1997年には[[パルコ]]ギャラリーで写真展開催。2003年の来日では、[[早稲田大学]]で「暴力とグローバリゼーション」を講演、会場の大隈小講堂を超満員にするほど大学生にも人気があった<ref>[http://archives.kaishaseikatsu.jp/kaisha/konohito/konohito031215_main.html 2003.12月(2)ボードリヤール]中尊寺ゆつこ「この人を見よ」</ref>。
 
== 邦訳著書 ==
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* [[ソーカル事件]]
* [[堤清二]]
* [[今村仁司]]
* [[大塚英志]]
* [[椹木野衣]]
* [[吉本隆明]]
* [[マトリックス]]