「赤穂城断絶」の版間の差分

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== 解説 ==
企画段階で深作欣二は[[吉良義央|吉良上野介]]の視点からの忠臣蔵を描きたく、配役は[[萬屋錦之介]]を吉良、[[金子信雄]]を[[大石良雄|大石内蔵助]]にしていたが、萬屋が従来の忠臣蔵を要望したため入れ換え、本来のオーソッドックスな作品となった<ref name = "興行収入"/>。それでも何か変化のあるものにしたかった深作は、主君の無念を晴らす赤穂浪士と吉良家の対立による仇討ちと描写されてきた物語に、本作では討ち入り時の[[不破正種|不破数右衛門]] ([[千葉真一]]) と[[小林平八郎]] ([[渡瀬恒彦]]) の一騎打ちで劇を盛り上げ、赤穂浪士が公儀へ反逆したと認識する幕府、単なる美談調の展開にせず討ち入りから脱落してゆく浪士や死にゆく者など、全編をドキュメンタリータッチに演出した<ref name = "興行収入"/><ref>{{Cite web |url = http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1TT000003353 |title = 赤穂城断絶 |publisher = 東映チャンネル <!--|archiveurl = http://web.archive.org/web/20131101021734/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1TT000003353 |archivedate = 2013-11-1--> |accessdate = 2013-11-1 }}</ref><ref>{{Cite web |url = http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=146473 |title = 赤穂城断絶 |publisher = [[allcinema|映画データベース - allcinema]] <!--|archiveurl = http://megalodon.jp/2013-1101-1125-15/www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=146473 |archivedate = 2013-11-1--> |accessdate = 2011-11-28 }}</ref>。しかし萬屋の意向を汲み取り仕上げられた本作は、深作にとって窮屈さと不本意なものであった<ref name = "興行収入"/><ref>{{Cite journal |和書 |date = 2012-11-28 |title = 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝 |journal = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |url = http://www.asagei.com/9401 |accessdate = 2013-1-1 <!--|archiveurl = http://liveweb.archive.org/http://www.asagei.com/9401 |archivedate = 2013-1-1--> }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |date = 2012-11-29 |title = 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」 |journal = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |url = http://www.asagei.com/9406 |accessdate = 2013-1-1 <!--|archiveurl = http://liveweb.archive.org/http://www.asagei.com/9406 |archivedate = 2013-1-1--> }}</ref>。渡瀬は本作で[[キネマ旬報賞]]助演男優賞と第21回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]助演男優賞を受賞した。深作は16年後の1994年にも異色の忠臣蔵映画『[[忠臣蔵外伝 四谷怪談]]』を監督している。
 
== 逸話 ==
『[[柳生一族の陰謀]]』の大ヒットで元気づいた錦之助は、深作の言うことを聞かず、深作の方が[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]社長に監督を降りたい、と泣きついてきたが、深作を何とか説得して完成させた<ref name="キネ旬19971216" >『[[キネマ旬報]]』1997年12月16日号、p16-21</ref><ref name="クロニクル1" >『クロニクル東映:1947-1991』1、東映、1992年、p282-283</ref>。岡田は錦之助に[[吉良義央|吉良上野介]]をやらせて、吉良の眼から見た[[忠臣蔵]]にしようとしたが、周囲の歌舞伎関係の人たちから猛反対に遭い断念した<ref name="キネ旬19971216" /><ref name="クロニクル1" />。岡田は、晩年の錦之助を歌舞伎の家流に定着させようとして『俺が言っておくから、[[松竹]]の[[永山武臣]]会長のところに行ったらどうだ。そうすれば一門の人たちも助かるだろうし、お母さんも喜ぶだろう』と言ったが、錦之助は『俺は映画の錦之助として死にたい』と言ったという<ref name="キネ旬19971216" /><ref name="クロニクル1" /><ref>{{Cite journal | 和書 | author = 岡田茂(東映・相談役)×[[福田和也]] |date = 2006年3月 | title = 東映ヤクザ映画の時代 <small>『網走番外地』『緋牡丹博徒』『仁義なき戦い』の舞台裏は</small> | journal = [[オール読物]] | volume = | publisher = [[文藝春秋]] |pages=218 |ref = }}</ref>。
 
== スタッフ ==