「カルロス2世 (スペイン王)」の版間の差分

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後継者を迎える必要から、[[1698年]]に[[続柄#大甥・大姪|又甥]]に当たる[[ヨーゼフ・フェルディナント (アストゥリアス公)|ヨーゼフ・フェルディナント]](母方の叔父の神聖ローマ皇帝レオポルト1世と同母姉マルガリータ・テレサの孫)を[[アストゥリアス公]]に叙爵したが、翌[[1699年]]に夭折した。他の継承者候補にはヨーゼフ・フェルディナントと同じく又甥に当たるアンジュー公フィリップ(後のフェリペ5世、ルイ14世と異母姉マリア・テレサの孫)と、母方の従弟に当たるカール大公(後の[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]、レオポルト1世の次男)がいた。
 
1700年、カルロス2世はスペイン王位をアンジュー公フィリップに譲ると表明して死亡し、スペイン・ハプスブルク家は断絶した。[[1701年]]2月にルイ14世は[[高等法院 (フランス)|パリ高等法院]]にスペイン王位継承権執行を命令する。以後、[[スペイン・ブルボン朝|スペイン・ブルボン家]]は現代の[[フアン・カルロス1ェリペ6世 (スペイン王)|フアン・カルロス1ェリペ6世]]まで続くスペイン王家となった。
 
しかしこの王位継承を巡って[[スペイン継承戦争]]が勃発する。この戦争は[[1714年]]に終結するが、スペイン領であった[[南ネーデルラント]]を巡ってはルイ14世の曾孫[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の時代まで紛糾が続くことになる。