「一心寺」の版間の差分

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家康は、境内の坂の孤松のすがたを讃えて、「坂松山」の寺額を贈った。[[大坂の役|大坂冬の陣・大坂夏の陣]]では[[徳川家康]]の陣が[[茶臼山古墳_(大阪市)|茶臼山]]に隣接したこの寺に置かれている。この寺には大坂夏の陣の[[天王寺・岡山の戦い]]で最前線に立ち討ち死にした[[本多忠朝]]の墓所があるが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏の陣で奮戦したが討ち死にし、死の間際に「戒むべきは酒なり」と言い残したといわれることから「酒封じの神」とされるようになった。今でも墓所には[[禁酒]]を誓う人がよく詣でている。
 
[[小堀政一|小堀遠州]]好みの数奇屋「八窓の茶室」や、[[大坂城]]の三の丸玉造門を移設した「黒門」と呼ばれた大きな山門も有名であったが、[[大阪大空襲]]ですべて焼失した。戦後伽藍の再建と10年毎の骨仏作りが徐々に進んだが、特に建築家でもある現長老([[高口恭行]])の作った鉄とコンクリートの斬新な[[山門]]([[1997年]]([[平成]]9年)完成)、彫刻家・[[神戸峰男]]による阿形像・吽形像や、日本画家・[[秋野不矩]]による天女像がある)や、庫裏・信徒会館である日想殿([[1977年]]([[昭和]]52年)完成)など現代建築による施設も見所の一つである。
 
== 骨仏 ==