「白幽子」の版間の差分

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白隠慧鶴と白幽子の関係の記述がまるで逆のような記述だった(日本語がヘン);こうなると石川丈山の弟子という記述も逆じゃないかという疑念が。
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'''白幽子'''(はくゆうし)は、[[江戸時代]]に[[京都]]白川の山中の岩窟に住んでいた隠士。数百年生きた[[仙人]]とされ、'''白幽子仙人'''、'''白幽仙人'''、'''白川の仙人'''ともいわれた。
 
白幽子は実在した人物で、[[文禄]]年間([[1592年]]-[[1595年]])頃には[[京都]]の白川の山中に住み、{{要出典範囲|[[石川丈山]]の弟子であった|date=2014年9月}}という。
 
[[1710年]]([[宝永]]7年)に、禅病に苦しむ[[白隠慧鶴]]が白幽子が住む岩窟を訪れ、「[[内観]]の法」を授かって禅病が癒えたとされる。後に白隠は『[[夜船閑話]](やせんかんな)』、『[[遠羅天釜]](おらてがま)』にその時の顛末と白幽子から伝えられた「内観の法」を記している。
 
白川乗願院(現京都市左京区)の過去帳には、白幽子は[[宝永]]6年([[1709年]])7月に没したことが記録されており、白隠が訪ねたのが[[宝永]]7年([[1710年]])とあるから、白幽子が死去した1年後ということになり矛盾がある。白隠が若いころに仙人に逢った可能性もまったくないではないが、おそらくは白隠のフィクションであろうと考えられる。