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[[ファイル:Queen Louise of Denmark Queen_Louise_of_Denmark_(1817-1898), née Louise Wilhelmine Friederike Caroline Auguste Julie of Hesse_née_Louise_Wilhelmine_Friederike_Caroline_Auguste_Julie_of_Hesse-Cassel.jpg|thumb|デンマーク王妃ルイーゼ王妃]]
'''ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセル'''([[ドイツ語|独]]:'''Luise Wilhelmine Friederike Caroline Auguste Julie von Hessen-Kassel''', [[1817年]][[9月7日]] - [[1898年]][[9月29日]])は、[[デンマーク]]国王[[クリスチャン9世 (デンマーク王)|クリスチャン9世]]の王妃。
 
[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン=カッセル家]]出身で、父はヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯[[ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム|ヴィルヘルム]]、母[[ルイーセ・シャロデ・ア・ダンマーク|ルイーセ・シャロデ]]はデンマーク王[[クリスチャン8世 (デンマーク王)|クリスチャン8世]]の妹であった。弟[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=カッセル|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]はヘッセン=カッセル家の家長となった。
 
1842年にデンマーク王家である[[オルデンブルク朝|オルデンブルク家]]の分家に属する[[グリュックスブルク家|グリュックスブルク公子]][[クリスチャン9世 (デンマーク王)|クリスチャン]]と結婚した。クリスチャンの母[[ルイーゼ・カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル|ルイーセ・カロリーネ]]は、父がヘッセン=カッセル方伯[[フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯)|フリードリヒ2世]]の三男[[カール・フォン・ヘッセン=カッセル|カール]]、母がデンマーク王[[フレデリク5世 (デンマーク王)|フレデリク5世]]の娘[[ルイーセ・ア・ダンマーク (1750-1831)|ルイーセ]]であり、ルイーゼの父母のどちらにとっても従姉妹であった。つまり、ルイーゼにとってクリスチャンは父方でも母方でも又従弟に当たった。
 
ルイーゼの母方の従兄である[[フレゼリク7世 (デンマーク王)|フレゼリク7世]]が後継ぎを儲けることなく崩御すると、夫が自身と妻ルイーゼの血筋によって王位継承者に選ばれ、デンマーク国王クリスチャン9世として即位した。
 
== 子女 ==
* 長男 - [[フレゼリク8世 (デンマーク王)|クリスチャン・フレゼリク・ヴィルヘルム・カール]](1843年 - 1912年) - デンマーク王フレゼリク8世
* 長女 - [[アレクサンドラ・オブ・デンマーク|アレクサンドラ・カロリーネ・マリー・シャルロッテ・ルイーセ・ユリア]](1844年 - 1925年) - [[イギリス]]王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]
* 次男 - [[ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)|クリスチャン・ヴィルヘルム・フェルディナント・アドルフ・ゲオルク]](1845年 - 1913年) - [[ギリシャ王国|ギリシャ]]王ゲオルギオス1世
* 次女 - [[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリー・ソフィー・フレデリケ・ダウマー]](1847年 - 1928年) - [[ロシア帝国|ロシア]]皇帝[[アレクサンドル3世]]皇后。ロシア名はマリア・フョードロヴナ
* 三女 - [[テューラ・ア・ダンマーク (1853-1933)|テューラ・アマーリア・カロリーネ・シャルロッテ・アンナ]](1853年 - 1933年) - [[ハノーファー王国]]の元王太子[[エルンスト・アウグスト (ハノーファー王太子)|エルンスト・アウグスト2世]]妃
* 三男 - [[ヴァルデマー (デンマーク王子)|ヴァルデマー]](1858年 - 1939年)
 
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[[Category:デンマークの王妃]]