「ハリー・パークス」の版間の差分

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{{Quotation|私とサー・ハリーとの関係は、たしかに楽しいものではありませんでした。アダムスもミットフォードも彼を良く思ってはいませんでした。これは主に社会階層の違いからくるものです。私もそのとおりだと思っていた日本人の請願に対して、彼の荒々しい言葉を通訳しなければならなかったのは、ほんとうに辛いことでした。しかし、彼は偉大な公僕であった|アーネスト・サトウ(1921年9月25日付けの[[バジル・ホール・チェンバレン]]への手紙)<ref>[http://www.yushodo.co.jp/pinus/72/satow/index.html 日欧交渉史エッセイ アーネスト・サトウの手紙]より。</ref>}}
* 1866年12月31日(慶応2年11月25日)、パークスが江戸の郊外の品川を騎馬で通行中、人吉藩士岩奥八右衛門が道の真ん中に立ちはだかり、刀を少し抜いていて恫喝してきた。パークスと英国人護衛の特務曹長がこれを拘束。英国公使館に連行して捕虜とした。
 
== 関連項目 ==
*[[明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧]]
 
== 脚注 ==