「高井藩」の版間の差分

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== 藩史 ==
尾張徳川家の第2代当主[[徳川光友]]の次男・[[松平義行]]は、[[天和 (日本)|天和]]元年([[1681年]])8月13日に信濃国伊那郡・高井郡・水内郡内において父より3万石を分与され、高井藩を立藩した。ただし義行は[[尾張藩]]の江戸藩邸に住んでおり、藩政は[[三沢彦兵衛]]ら代官が天和2年([[1682年]])に創設した竹佐陣屋(現在の[[飯田市]])に常駐して行なったと言われている。藩政の大半は尾張藩に準拠したものであり、藩法も尾張藩に倣って制定されている。
 
[[元禄]]13年([[1700年]])3月25日、義行は高井郡・水内郡の領地と美濃国石津郡・海西郡内の領地が交換され、[[美濃国|美濃]][[高須藩]]に所領を交換されたことからが立藩し、高井藩は廃藩となった。ただし、伊那郡内における1万5000石の所領は高須藩領として[[明治維新]]まで竹佐陣屋で支配されていた。
 
== 歴代藩主 ==