「交響曲第9番 (マーラー)」の版間の差分

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この発想表示や[[大地の歌#「第九」のジンクス]]の逸話などから、マーラーは迫り来る死の恐怖におびえ、あるいはこの恐怖と闘いながら作曲したという劇的なイメ-ジが作られるが、「死」は、第9番に限らずマーラーが生涯を通じて追求してきたと同時に、[[20世紀]]初頭の芸術各分野で一般的に採り上げられる主題であったこともまた事実である。
 
== トピックス&レコーディング ==
=== 初レコーディング ===
この曲の初めてのレコーディングは[[ブルーノ・ワルター]]によるもので、[[1938年]][[1月16日]]の[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]との実況録音であり、戦前期におけるウィーン・フィルとの最後の共演盤であった。この演奏の約2ヶ月後、オーストリアは[[ナチス・ドイツ]]に併合され([[アンシュルス]])、ユダヤ系だったワルターは財産没収などを受け、苦難の亡命せざるを得なくなる。また、ウィーン・フィルにとってもユダヤ系の音楽家が多かった戦前の黄金時代最後の演奏会となり、ユダヤ系名物コンサートマスターの[[アルノルト・ロゼー]]の事実上の引退公演でもある。初演者であるワルターの録音は、ワルター自身は嫌な思い出のためか、この録音をさっさと破棄することを願っていたという。日本では[[太平洋戦争]]中の[[1943年]]に[[日本コロムビア|ニッチク]]から発売された。なお、[[ウィレム・メンゲルベルク]]は、ワルターの解釈に異を唱えていた。