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1901年の創業以来、妻の[[相馬黒光]]とともに独創的なパン・食品を作り続けた。[[1904年]]には[[シュークリーム]]をヒントに現在もポピュラーな菓子パンである[[クリームパン]]を考案した。[[1927年]]には現在の[[中華まん]]のもととなる「中華饅頭」を発売。これが現在の中華まんの始まりとも言われている。
 
[[1918年]]に娘が[[インド]]の独立[[運動家]]の[[ラース・ビハーリー・ボース|ラス・ビハリ・ボース]]と[[結婚]]をしたことから、本格的な[[カリー]]の調理を学び、[[1927年]](昭和2年)に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。本店のカリーのキャッチフレーズ「'''恋と革命の味'''」はここから生まれ、引き継がれている。
 
[[フランスパン]]を日本で最初に発売した京都の[[進々堂]]創業者の[[続木斎]]や、[[山﨑製パン]]創業者の[[飯島籐十郎]]も相馬のもとで勤務していた。
新宿本店には愛蔵・良の人柄に惹かれた文化人が盛んに来店していた。その中に[[ロシア]]の童話作家[[ヴァスィリー・エロシェンコ]]もおり、彼がレシピを伝えた[[ボルシチ]]も、前述のカリーと並び本店レストランの開店以来の人気メニューである。ただし、このボルシチは[[テーブルビート]]の代わりにトマトを使用した物である。また、エロシェンコが着用していたロシアの民族服[[ルバシカ]]も、その機能性から店員制服として採用されている。
 
=== 逸話 ===
[[寺山修司]]は[[プレイボーイ]]誌で人生相談欄を担当していたとき、自殺志望の青年の葉書に対し、「君は新宿中村屋のカリーを食べたことがあるか?なければ食べてから再度相談しろ」と返答した。
 
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