「北条貞宗」の版間の差分

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(名越貞宗の記述を追加)
[[鎌倉幕府]]の[[連署]]を務めた[[北条維貞]]の子(三男)として生まれた。次兄の[[北条家時|家時]]が生まれた[[応長]]2年/[[正和]]元年([[1312年]])<ref>[http://homepage1.nifty.com/kitabatake/hojyo-notk.html こちらのページ]より。</ref>以後のことであろう。父が初めに名乗っていたのと同じ'''貞宗'''を名乗る。
 
[[後醍醐天皇]]らの討幕運動([[元弘の乱]])が起こると、大仏家当主であった家時や弟の[[北条高直|高直]]とともに幕府軍を率いて[[河内国|河内]][[金剛山 (金剛山地)|金剛山]][[千早城]]に立て籠もっていた[[楠木正成]]を攻めていたが、[[足利尊氏|足利高氏]](のちの尊氏)]]の離反や[[六波羅探題]]の滅亡もあって軍は四散し、家時は[[鎌倉]]へ、貞宗と高直は5月10日に残った軍勢を率いて[[奈良]]に逃れた<ref name="鎌倉・室町p542">[[安田元久]] 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、p.542 「北条高直」の項(執筆:[[奥富敬之]])より。</ref>。しかし、5月22日に[[新田義貞]]の鎌倉攻めにより高時や家時らが自害した([[東勝寺合戦]])ことを知ると、抗戦を諦めて6月5日に剃髪した上で高氏に降伏し、[[京都]]に幽閉された<ref name="鎌倉・室町p542"/>。
 
高氏自身は北条家と縁戚関係にあった<ref>維貞の[[外祖父]](母方の祖父)、高氏の父・[[足利貞氏|貞氏]]の外祖父がともに[[北条時茂]]であり、高氏と高直およびその兄弟は[[はとこ]]の関係にあった。</ref>ことから高直の助命を嘆願していたが、建武元年(1334年)3月9日に北条家の残党らによる[[鎌倉]]侵攻事件などがあったことから北条一族の徹底的な殲滅が強められることになり、9月9日に弟の高直や[[北条治時|阿曾治時]]、[[長崎高貞]]([[長崎氏]])らと共に京都阿弥陀峰で斬首に処された<ref name="鎌倉・室町p542"/>。