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差分

 
=== 近代 ===
[[File:Provincia di Lubiana1941-1943.jpg|thumb|250px|[[枢軸国]]により分割されたスロベニア。灰色が[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]、緑が[[ハンガリー]]、残りが[[イタリア]]占領地で、後に縦縞の部分が[[クロアチア独立国]]統治下となる。]]
その後[[1918年]]に[[第一次世界大戦]]が終了しオーストリア=ハンガリー帝国が解体されると、[[セルビア王国 (近代)|セルビア王国]]の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加。'''セルビア・クロアチア・スロベニア王国'''の成立に加わった。この際スロヴェニアの一部地域ではオーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため、住民投票が行われ、オーストリアに帰属するか、スロヴェニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するかを住民投票で決めた地域が存在する。この王国は、[[1929年]]に[[ユーゴスラビア王国]]に改称した。
 
[[1941年]]にユーゴスラビアに[[枢軸国]]が[[ユーゴスラビア侵攻|侵入]]すると、スロヴェニアは[[ナチス・ドイツ]]の占領下に置かれた。西に接する[[イタリア王国]]はスロヴェニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため、[[ベニート・ムッソリーニ]]指揮下のイタリア軍によって首都リュブリャナを占領され、北東の一部の地域は[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー]]が占領、更に[[クロアチア独立国]]が成立するとイタリア占領地域のうち南東部がクロアチア統治下となり、スロベニア人の住む地域は3都合4つの勢力(実質的には3勢力)によって分断された。占領に反対した右派ナショナリストたちは[[ロンドン]]に逃れたユーゴスラビア王国亡命政府を支持したが、後に枢軸陣営に加わった。他方、共産主義者たちは[[ヨシップ・ブロズ・ティトー]]の[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]に加わり、ドイツ軍などと戦った。
 
パルチザンはスロヴェニアを含むユーゴスラビア全土を武力でドイツ軍から解放した。大戦前はイタリア領とされていた[[イストリア半島]](イストラ半島)はユーゴスラビア領となり、スロヴェニアは[[コペル]]周辺で海岸線を手に入れることとなった。また、スロベニア人が多く住むオーストリアの[[ケルンテン州]]の一部も求めたが、この要求は認められなかった。
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