「ジョセフ・マッカーシー」の版間の差分

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マッカーシーは大酒飲みで、このことにより多くの記者との忌憚のない関係が築かれたが、上院での譴責とその後に巻き起こった批判、その結果の没落はマッカーシーに怒りと落胆をひきおこし、身体を蝕んだ。上院での譴責を受けて事実上失脚したマッカーシーはその後表舞台へ出ることもなく、ついに[[肝炎|急性肝炎]]で[[ベセスダ (メリーランド州)|ベセスダ]]海軍病院で[[1957年]][[5月2日]]に死去した。
 
上院での譴責を受けたものの、死去に際しては上院の議場で告別式が催され、当時はまれな[[国葬]]の栄誉をあずかった。葬儀はカトリック信徒であったため、聖マタイ大聖堂は[[カトリック教で多くの司祭の立ち]]う荘厳ミサとして与えら行わる最高位をマッカッシーに与え、た。マッカーシーの棺が安置された[[ワシントンD.C.|ワシントン]]の葬議場の外には、早朝から深夜まで弔問に訪れた市民3万人が列をなした。ウィスコンシン州アップルトンのセントメアリー墓地に葬られた。妻のジーンと養女のチィアニーが後に残された。
 
== ベノナ ==