「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の版間の差分

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* 脅迫電話の声と小原の声質は似ているが、使用している言葉が違うので同一人物と断定できない。
* [[嘘発見器|ウソ発見器]]での検査結果は「シロ」であった。
* 足が不自由であることから、身代金受け渡し現場から素早く逃げられない。
 
小原には、誘拐発生の[[1963年]][[3月31日]]と最初の脅迫電話があった同年[[4月2日]]の両日、郷里の福島県内で複数の目撃者が存在していたが、刑事の[[平塚八兵衛]]らは徹底的な[[アリバイ]]の洗い直しを実施した。[[3月31日]]の目撃者は雑貨商を営む老婆で、親戚の男性から、[[野宿]]をしている男を追っ払ったという話を聞いた翌日に、足の不自由な男が千鳥橋を歩いているところを目撃したという。裏付け捜査により、この男性はワラボッチ(防寒と飾りを兼ねて植物にかぶせる[[藁]]囲い)で野宿している男を追っ払った後、[[駐在所]]に不審者について報告し、放火されることを防ぐためその日の夕方にワラボッチを片付けた<ref>小原はワラポッチで野宿したのは3回であると供述していた。</ref>。その日付は、駐在所の記録で[[3月29日]]であることが判明。つまり、小原が老婆に目撃されたのは、その翌日の'''[[3月30日]]'''であることが分かった。
 
一方、[[4月2日]]の目撃者は、この男性の母親。[[十二指腸潰瘍]]を患っていた孫(この男性の長男)が、一時中断していた通院を再開した日に、小原を目撃したという。裏付け捜査により、この孫は2月2日から[[3月8日]]まで通院。その後、[[3月28日]]と[[4月2日]]にも通院しているという記録が残っていた。しかし、当日の孫の腹痛は、前夜の[[節供]]での草餅の食べ過ぎが原因と判明。節供とは[[上巳]]の節供のことで、この土地では[[旧暦]]で祝っていた。その年の[[旧暦]]3月3日は[[3月27日]]。したがって、病院に運ばれた日(目撃された日)は、その翌日の'''[[3月28日]]'''ということになる。さらに、小原は、[[3月29日]]に実家に借金の申し入れをしに行ったものの、何年も帰省していない気まずさから、実家の蔵へ落とし鍵を開けて忍び込み、米の[[氷餅|凍餅]](しみもち)を食って一夜を明かしたと供述しているが、小原の兄嫁によると、当時は落とし鍵ではなく既に[[南京錠]]に替えられていたことが分かった<ref>平塚は後述の録音テープでは、「土蔵の屋根を昭和36年に瓦葺きに吹き替えた際に、土蔵の土台が腐っていたために戸が曲がり、鍵がかからない状態になっていた」と小原に問いだたしている。</ref>。また、その年は米の不作により米の凍餅は作らなかった(芋餅を作った)ことも分かった。また足が不自由であり身代金受け渡し現場から素早く逃げられない問題については、アリバイ崩しの過程で実際には身のこなしは敏捷であることが判明した。
 
大金の金額については、脅迫電話テープの公開直後に(身代金から愛人に渡した残りの金額に相当する)「30枚ほどの一万円札を持っているのを見た」という情報が実弟を名乗る人物からもたらされていたことや、身代金が犯人に奪われた直後の一週間で小原がほとんど収入がないのに42万円もの金額を支出していたことが明らかになった<ref>後述のNHKスペシャルによる。</ref>。
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