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ノッティンガムでは1978年の[[フットボールリーグ|リーグ]]優勝、1978・79年の[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]連覇、1979・80年の[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]連覇に貢献。個人としても1978年に[[PFA年間最優秀選手賞]]を受賞した。1980年には第1回[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]に出場を果たしている。1982年にノッティンガムを去った後も[[サウサンプトンFC|サウサンプトン]]、[[ダービー・カウンティFC|ダービー・カウンティ]]で活躍。[[プリマス・アーガイルFC|プリマス]]では[[プレーイングマネージャー]]としてチームを指揮した。40歳を過ぎた後も現役に拘り、数々のチームを転々とした。現役生活最晩年に所属した[[レイトン・オリエント]]で前人未到の1000試合出場を果たす。1997年に引退。この時シルトンは47歳、キャリア32年での出場試合数は1005試合に到っていた。
 
[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]には1970年に21歳でデビューを果たす。以後1990年に代表を引退するまで3度の[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]](1982年、1986年、1990年)に正GKとして出場するなど、[[国際Aマッチ]]125試合に出場している。なお、この記録はイングランド代表最多記録である。1986年の[[1986 FIFAワールドカップ|ワールドカップ・メキシコ大会]] [[1986 FIFAワールドカップ準々決勝 アルゼンチン対イングランド|準々決勝のアルゼンチン戦]]では[[ディエゴ・マラドーナ]]に'''[[神の手 (サッカー)|神の手]]'''ゴールと'''5人抜き'''ゴールを決められた。[[ファビアン・バルテズ]]と共に、ワールドカップ歴代最多タイの10完封を記録している
 
[[ゲーリー・リネカー]]が少年時代憧れていた選手だった。