「マクセンティウス」の版間の差分

→‎領内の統治: マクセンティウスの競技場
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マクセンティウスの軍事力は初めはわずかな兵力で、[[プラエトリアニ]]の残りと皇帝の騎兵守備隊、およびローマの都兵に過ぎなかった。その後、セウェルス帝およびガレリウス帝との戦いにおいて離反兵を吸収することで増大し、さらに、アフリカ再征服の際に国境の駐屯兵の一部をイタリアに引き上げて戦力を増した。とはいえ、その兵力は決して大きいとはいえず、アルプス山脈の陰という地の利とローマの要塞としての守備力に頼らざるを得なかった。
 
[[ファイル:Rome-CircusofMaxentius.JPG|thumb|right|250px|[[マクセンティウス競技場]]の遺跡]]
;ローマ市政
マクセンティウスのローマにおける立場は一言では語れない。彼は、ローマに大規模な建築群([[マクセンティウス競技場]]など)を企画することで、改めてローマに首都としての特権を与えてそれを誇示しようとした。一方ではローマ市民の持つ富に頼らざるを得ない一面もあり、おそらくはローマにも税を課した。アフリカの反乱によってローマへの穀物供給が止まったときには、首都は食料不足となり、暴動によって約6,000人の命が失われた。
 
;[[元老院 (ローマ)|元老院]]
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