「築地ホテル館」の版間の差分

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== 概要 ==
[[ロンドン覚書]]により、[[慶応]]3年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1868年]][[1月1日]])に[[江戸]]は外国人に向け開市されることになっていたが、そうなると江戸に滞在する外国人が増えることが予想された。このため、イギリス公使[[ハリー・パークス]]は、[[江戸幕府|幕府]]にホテルの建設を要請し、それに応えて[[築地]]船板町の[[軍艦操練所]]の跡地(現在の[[築地市場|中央卸売市場]]の立体駐車場あたり)に築地ホテル館が建設されることになった。設計は横浜[[外国人居留地]]内に土木建築事務所を開いていたアメリカ人の[[リチャード・ブリジェンス]]に依頼された。
 
ホテルの開設について、[[小栗忠順]]は、「民間でこれを行なうものがあれば土地は幕府が無償で提供し、利益は経営者のものとしてよい。資金は民間から資本を募り、利益を出資金に応じて分配する。」とした。これに応じたのが、清水組(現在の[[清水建設]])の二代[[清水喜助]]で、工事だけでなく経営も引き受けることとなった。