「日下開山」の版間の差分

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元々相撲に限らず武道や芸事において人より秀でたものに対して自称なり他称なりで「天下一」と呼ぶ習慣が存在した。しかし江戸時代となって将軍のことを「天下様」と呼ぶようになると「天下一」の称号を使うことは憚られるようになった。そこで相撲界においては仏教において新しい寺院を開いた僧に与えられる称号「[[開山 (仏教)|開山]]」に因んで「日下開山」の称号を使うようになった。
「日下開山」の号が文書に顕れるのは[[宝暦]]年間に書かれた「相撲鬼拳」に「[[明石志賀之助]]と申関取、高の有し日下開山とは是なり」とあるのが初出とされる。当時日下開山を名乗った力士は決して少なくなかったと考えられ、多くは自らの力を誇張するため「日下開山を許された」などと呼称したとされる。
文書・書籍等で記録の残る日下開山の称号を許された強豪力士としては上記明石の他、[[鎌倉十七]][[谷風丹右衛門]][[御用木無次右衛門]][[大木戸團右衛門]][[源氏山住右衛門]][[鞍馬山鬼市]][[物見山團蔵]]といった名前が挙げられる。
 
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