「佐倉康彦」の版間の差分

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== 略歴・人物 ==
栃木県に生まれる。20才の頃、"御社の一番ケンカの強人とタイマン張って、勝ったら入社させてほしい"、という無茶な手紙を書いたことがきっかけで[[仲畑貴志]]と知り合う。その後、広告制作プロダクションマドラコミュニケーションズに入社。[[1991年]][[明治屋]]の仕事で[[東京コピーライターズクラブ|TCC]]の新人賞を受賞。[[1992年]]に[[サン・アド]]へ移籍。翌年[[サントリー]]から発売された[[ザ・カクテルバー]]のコピーからプランニングに携わり一躍有名に。その後は[[グンゼ]]「BODY WILD」、[[レナウン (企業)|レナウン]]「エンスウィート」、[[ラフォーレ]]「グランバザール」、[[明治製菓]]「アーモンドチョコレート」などのキャンペーンを担当し、90年代を代表する広告クリエーターの一人として、その名を知られるようになる。また[[サントリーフーズ|サントリー]]から発売されたソフトドリンク「ごめんね。」の合唱コンクール風CMソングの歌詞や、真心ブラザーズ「別れの三部作」のショートフィルムの企画・原案・制作やプロダクトレーベルの立ち上げなど幅広い分野のクリエイティブも手がけている。
 
その後サン・アドを経て、[[博報堂|博報堂C&D]]にクリエイティブディレクターとして移籍。[[2008年]][[8月]]には前出の仲畑貴志と[[電通]]との共同出資で設立されたプランニング・ブティック「ナカハタ」<ref>この他にも、電通、ワイデン・アンド・ケネディ・トウキョウに所属していたコピーライターの[[神谷幸之助]]、プロデューサーの月村寛之などが、「ナカハタ」のメンバーとして参加している。</ref>に参加し、現在に至ると共に、宣伝会議が主催する広告セミナー、コピーライター養成講座や京都広告塾などでの講師活動や、数々の広告賞の審査もおこなっている。