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このNHKアーカイブスの施設開館、ならびに放送を実施するに当たって、製作された当時の映像を当時の雰囲気そのままに伝えるために、スタッフがデジタルリマスタリング(修復)処理を実施している。この方式は、番組としての『NHKアーカイブス』が放送される直前の2000年1月 - 3月に、総合テレビ深夜放送でシリーズ放送された『よみがえる[[新日本紀行]]』で初めて紹介された。
 
[[1959年]]にNHKは送出用として[[2インチVTR|2インチ]]のアンペックス方式VTRの使用を開始する。それから[[1981年]]頃までの間は、送出用として同方式のVTRを使っていた<ref>[[1976年]]から[[1インチVTR]]が送出用として使われ、[[1981年]]頃からしばらくの間この方式に一本化される。</ref>。この方式の[[ビデオテープ]]は非常に高価だったために<ref>[[1964年]]、[[富士写真フイルム|富士フイルム]]がそれを国産化しても、[[1980年]]頃の生産終了まで1本(60分)当たりの単価が10万円以下になることはなかったという。現在の放送業務用ビデオテープ1本あたりの単価は安くても1000円台になっていて、高級品ではなくなったため保存が可能になった。現在は収録番組・生放送番組を問わず、放送された番組はVTRテープに記録され、保存されている。</ref>、テープを使い回しせっかく収録した番組も次の収録で上書きされ失われている場合がほとんどである<ref>特に、[[1970年]]以前の番組でビデオテープで残っているものは数えられるほどしかないものの、それでも「[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]」の開会式、閉会式および一部の競技、「[[メキシコシティオリンピック|メキシコオリンピック]]」の一部、「NHKイタリアオペラ演奏会」、カラー本放送開始記念番組『長唄『京鹿子娘道成寺』』等、非常に芸術的価値の高い貴重な物については、2インチVTRのままで残されているケースが多い。</ref>。一部の番組は「[[キネコ|キネレコ]]」という装置でフィルム映像に変換して残されたりなどしたが<ref>[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]の[[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]]([[1963年]])・[[第21回NHK紅白歌合戦|第21回]]([[1970年]])もこの方式で録画。ただし第21回の保存状態は悪い。</ref>、大部分の番組は前記のように失われてしまったため、[[著作権法]]に基づく権利を行使し、視聴者の[[エアチェック]]なども収集している。現在では、日本で2インチVTRにて収録された番組作品は全てNHK・民放問わず、1インチ、U規格、ベータカム等のアナログVTR、D1・D2・D3・D5等のデジタルVTRにダビングされたものが、地上波・BS・CS等での放送用等の再生に使われている。<ref>最近で詳しくは[[2009年]]4月、NHKにて新たな2インチ収録のビデオテープが発見されて、同局どころか日本国内に唯一現存する、NHK放送博物館に所蔵されている国産2インチVTRデッキ(芝電気(現・[[日立国際電気]])製SV-7400型([[1971年]]発表)、ハイバンド・ローバンド共に再生可能)で再生を試みたところ、機器の老朽化のために再生ができなかったという。#現在はこ機器の代替部品も全くない。ちなみに、このビデオデッキにて再生が成功した最後の番組は、[[1965年状況]][[10月16日]]に総合テレビにて放送された『[[若さとリズム]]』であり(再生は[[2006年]])、この再生されたテープは[[D3-VTR]]のデジタルVTRにコピーし修復され、[[2007年]][[1月14日]]に総合テレビ「NHKアーカイブス」で放送された。この番組は現在、NHKアーカイブスの番組公開ライブラリーにて見ることができるを参照。</ref>
 
元NHKアナウンサーの[[宮田輝]]は、[[1960年代]]後半からオープンリールの家庭用VTRを所有していた。自身が司会を務めた、1960年代後半の『[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]』、『[[思い出のメロディー]]』、『[[ふるさとの歌まつり]]』の放送は自宅で録画され、その映像は後にNHKに提供された。