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二林史夫 (会話 | 投稿記録)
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ソ満国境を超えてソ連軍南下の報に8月14日新京から奉天へ一時避難したが、父興三の判断で満州国首都の新京へ後戻り15日夕刻新京に着いて終戦を知った。
 
終戦の翌年9月、葫蘆島(ころとう)から博多へ[[げ]]、列車で東京へ。広島を通るときは窓が目隠しされたという。
 
引揚直後は鶴見の親戚に仮寓。大森中4年に編入。