「法華七喩」の版間の差分

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#:ある長者の子供が幼い時に家出した。彼は50年の間、他国を流浪して困窮したあげく、父の邸宅とは知らず門前にたどりついた。父親は偶然見たその窮子が息子だと確信し、召使いに連れてくるよう命じたが、何も知らない息子は捕まえられるのが嫌で逃げてしまう。長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘うよう命じ、ついに邸宅に連れ戻した。そしてその窮子を掃除夫として雇い、最初に一番汚い仕事を任せた。長者自身も立派な着物を脱いで身なりを低くして窮子と共に汗を流した。窮子である息子も熱心に仕事をこなした。やがて20年経ち[[臨終]]を前にした長者は、窮子に財産の管理を任せ、実の子であることを明かした。この物語の長者とは仏で、窮子とは衆生であり、仏の様々な化導によって、一切の衆生はみな仏の子であることを自覚し、[[成仏]]することができるということを表している。なお長者窮子については釈迦仏が語るのではなく、弟子の大迦葉が理解した内容を釈迦仏に伝える形をとっている。
#'''三草二木'''(さんそうにもく、薬草喩品)
#:大地に生える草木は、それぞれの種類や大小によって異なるが、大雲が起こり雨が降り注がれると、すべての草木は平等に潤う。この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、中草とは声聞・縁覚の[[二乗]]、上草とは二乗の教えを通過した菩薩、小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、大樹とは[[大乗仏教|大乗]]の教えの奥義を理解した菩薩であり、それら衆生は各自の機根に応じて一乗の教えを二にも三にも聞くが、仏は大慈悲をもって一味(一乗の異名)実相の教えを衆生に与え、利益で潤したことを例えた。
#'''化城宝処'''(けじょうほうしょ、化城喩品)
#:宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、一乗の境界に至らしめることを説いている。法華経では、遥か昔の[[大通智勝如来]]が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。