「7月20日事件」の版間の差分

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1932年に[[国家社会主義ドイツ労働者党]]の党首アドルフ・ヒトラーが[[ワイマール共和国]]首相に就任した。[[ユダヤ人]]に対する差別政策などを推進するナチスに反発し、ヒトラーの暗殺を計画、実行する個人もしくはグループが現れた。
 
ワイマール共和国およびナチス・ドイツにおけるドイツ国防軍とナチスおよびヒトラーとの関係は複雑なものであった。ナチスの政策、特に[[ドイツ再軍備宣言|ドイツの再軍備]]、軍備拡張に賛同する将校が多くいる中で、軍事力を背景とする領土の拡張政策が周辺国との戦争を引き起こし、ドイツが敗北すること懸念を持つ者もいた。
 
1938年のナチス・ドイツによる[[チェコ]]の[[ズデーテン]]併合時に計画されたクーデター計画が、国防軍内における反ナチス運動の嚆矢だった。ズデーテン併合により[[イギリス]]および[[フランス]]から宣戦布告されることをおそれた[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]][[参謀総長]]の[[ルートヴィヒ・ベック]]は職を辞し、参謀総長の[[フランツ・ハルダー]]、アブウェール次長の[[ハンス・オスター]]、第三軍管区司令官[[エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン]]、第二十三歩兵師団長[[エーリヒ・ヘプナー]]など反ナチス派将校や民間人を集めてクーデター計画を練った。計画では臨時政府の元で総選挙を実施し政治を正常化させることになっていたが、ヒトラーの扱いについては、殺害、逮捕および裁判、精神異常者として拘禁するなど意見がまとまらなかった。イギリスの首相[[ネヴィル・チェンバレン]]の提案により行われた[[ミュンヘン会談]]においてイギリスおよびフランスがドイツのズデーテン併合を認めたため、クーデター計画はその根拠を失い中止された。