「ロシア構成主義」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2012年12月}}
'''ロシア構成主義'''(ロシアこうせいしゅぎ、{{lang-ru|Конструктивизм}}、{{lang-en|Constructivism}})とは、[[キュビスム]]や[[シュプレマティスム]]の影響を受け、[[1910年代]]半ばにはじまった、[[ソビエト連邦|ソ連]]における[[芸術]]運動。[[絵画]]、[[彫刻]]、[[建築]]、[[写真]]等、多岐にわたる。[[1917年]]の[[ロシア革命]]のもと、新しい[[社会主義国家]]の建設への動きと連動して大きく展開した。[[1922年]]のアレクセイ・ガン[[:en:Aleksei Gan|(Aleksei Gan)]]の『構成主義』が理論的基盤をもたらした。
[[Image:Bronenosets.jpg|thumb|right|300px|映画『[[戦艦ポチョムキン]]』のポスター。1925年]]
その特徴は、抽象性(非対象性・幾何学的形態)、革新性、象徴性等である。平面作品にとどまらず、立体的な作品が多いことも、特徴の1つである。構成主義という言葉は、[[ナウム・ガボ]](Naum Gabo, {{lang|ru|Наум Габо}}, [[1890年]]-[[1977年]])と[[アントワーヌ・ペヴスナー]](Antoine Pevsner, {{lang|ru|Антуан Певзнер}}または{{lang|ru|Натан Певзнер}}, [[1886年]]-[[1962年]])が、最初に使ったとされる。
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*イワン・プーニー(Ivan Puni, {{lang|ru|Иван Пуни}}, [[1892年]]-[[1956年]])
*[[グスタフ・クルーツィス]](Gustav Klutsis, {{lang|ru|Густав Густавович Клуцис}})
*[[コンスタンチン・メーリニコフ]](Konstantin Stepanovitch Melnikov, {{lang|ru|Константин Степанович Мельников}}), [[1890年]]-[[1974年]])
 
[[1920年代]]後半には、スターリンの下でソ連政府が保守化し、[[社会主義リアリズム]]が重視されて、ロシア構成主義は衰退した。これに伴って、一部の作家がソ連から西欧へ逃れたこともあり、遅くとも[[1930年代]]には、ロシア構成主義は、国際的に広まった。この段階においては、「国際的構成主義」と呼ばれることもある。また、1930年代の抽象絵画に与えた影響も大きい。