「米相場」の版間の差分

この間、満州事変、[[1937年]](昭和12年)の日中戦争の拡大など、不安定な世情の中、[[1939年]](昭和14年)の旱魃による凶作が加わり、米は需給面で完全に不足となり、流通、価格に関して政府の強力な統制が加えられることとなった。このような情勢の中、米穀取引所の取引高は大きく減少することとなり、市場の存在意義は失われていった。[[1939年]](昭和14年)4月、米穀配給統制法が制定されるや、米穀取引所の全ては廃止され、市場に委ねていた米の流れを国家の統制下に置き、最高、最低価格を厳守させた。引き続き価格統制令を施行してすべての価格を公定とし、米穀については1石43円を公定価格とした<ref name="fukuoka">小史下関米取引所(会員組織福岡商品取引所平成15年10月1日発行)</ref>。
 
米穀配給統制法案は、[[1939年]](昭和14年)3月議会を通過して成立し、同法に依って、同年7月25日日本米穀株式会社が設立された。朝鮮においても、内地に倣って朝鮮米穀市場株式会社が、[[1939年]](昭和14年)11月に設立され、従前の米穀取引所は解散した。[[1939年]](昭和14年)10月1日からは、米穀に関しては、取引所法を適用しなくなり、(同法第55条、昭和14年勅令第677号)正米市場規則も廃止され、日本米穀株式会社の経営する米穀市場(現物取引、未着物取引、延取引)が、米穀取引所及び正米市場に代わって、それらの旧所在地に逐次開設され、その数28ヶ所に及ぶ<ref name="torihikisyo">日本取引所解説(千倉書房昭和17年6月9日発行)</ref>。
 
[[1939年]](昭和14年)8月25日、[[総動員法]]第4条の発令により全国の米穀取引所は一斉に総[[解け合い]]により、事実上の期米市場の閉鎖となった。また、[[1939年]](昭和14年)10月1日[[米穀配給統制法]]第55条施行に因り全国の米穀取引所解散<ref>株式会社名古屋米穀取引所史(株式会社名古屋米穀取引所昭和16年11月25日発行)</ref>。
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