「経 (仏教)」の版間の差分

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=== 日本 ===
日本では、[[天平]]7年([[735年]])[[玄ボウ|玄&#x6609;]]が将来した五千余巻は、当時の欽定大蔵経と推定される。平安時代末から鎌倉時代にかけては、[[栄西]]、[[俊乗坊重源|重源]]、[[慶政]]その他の入宋僧の努力で、『宋版一切経』が輸入された。室町時代には室町幕府や九州探題、大内氏の名義で朝鮮に大蔵経を求め、日本に送られた大蔵経は寺院に寄進された(ただし、朝鮮から請来された大蔵経は高麗版に限らず、宋版・元版が送られた例がある。また、寺院の要請を受けて名義を貸す形で大蔵経を求める使者を出した例もある)<ref name=suda>須田牧子「大蔵経輸入とその影響」『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年) ISBN 978-4-13-026227-9 (原論文:2007年)</ref>
* [[慶安]]元年([[1648年]])、[[天海]]による『寛永寺版(天海版)』が徳川幕府の支援をうけて完成。
* [[天和 (日本)|天和]]元年([[1681年]])、[[鉄眼道光]]が『黄檗版大蔵経(鉄眼版)』を完成。鉄眼禅師が艱難辛苦の後に完成させた大蔵経として、[[第二次世界大戦]]前の日本の修身の教科書にも採用されて著名なものではあるが、歴代の大蔵経中で、最も誤字が多い。これは、明版の大蔵経の現物をバラバラにして、それを裏返して元版としたことによる。反面、鉄眼の大蔵経が刊行されたことでこれまで特権的な有力寺院しか持ちえなかった大蔵経が村落の寺院でも所持が出来るようになった<ref name=suda/>
* [[1885年]]、『大日本校訂大藏經縮刷藏本』(縮刷大蔵経、東京弘教書院)を刊行。底本は『高麗大蔵経』
* [[1902年]]、『卍字藏』(京都藏經書院)刊行。