「オーストリア学派」の版間の差分
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[[ポーランド]]では[[2007年]]より[[政権]]を指揮している[[ドナルド・トゥスク]][[首相]]は自らの経済観がハイエクのものに近いことを認めており<ref>{{cite web|last=Bobinski |first=Krzysztof |url=http://www.europeanvoice.com/article/imported/low-key-liberal/58799.aspx |title=Low-key liberal |publisher=European Voice |date=2007-11-29 |accessdate=2012-12-02}}</ref><ref>[http://www.fahayek.org/index.php?option=com_content&view=article&id=1660:vive-la-pologne--monsieur-tusk&catid=68:tribunes&Itemid=40 ]{{リンク切れ|date=December 2012}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.cidob.org/es/documentacio/biografias_lideres_politicos/europa/polonia/donald_tusk |title=Donald Tusk / Polonia / Europa / Biografías Líderes Políticos / Documentación / CIDOB home page |language={{es icon}} |publisher=Cidob.org |date= |accessdate=2012-12-02}}</ref><ref>[http://www.social-europe.eu/fileadmin/user_upload/Authors/Rae_3-2.pdf ]{{リンク切れ|date=December 2012}}</ref><ref>{{cite web|author=Jeffrey Tucker |url=http://blog.mises.org/archives/009398.asp |title=Donald Tusk, Hayekian |publisher=Blog.mises.org |date=2009-02-07 |accessdate=2012-12-02}}</ref>、自身の若い頃は当時の[[共産主義]]政権への反体制活動として[[フリードリヒ・ハイエク]]の経済学を紹介するパンフレットを自作して広く配布したこともある。[[ヤン・ヴィンツェント=ロストフスキ]][[財務相]]は典型的なオーストリア学派的経済政策を実行している<ref>{{cite web|author=Walsoft |url=http://www.marketoracle.co.uk/index.php?name=News&file=article&sid=16524 |title=Poland's Economy Is No Joke :: The Market Oracle :: Financial Markets Analysis & Forecasting Free Website |publisher=The Market Oracle |date=2010-01-15 |accessdate=2012-12-02}}</ref>。トゥスク政権以前は、[[タデウシュ・マゾヴィエツキ]]が[[東欧革命]]直後の[[1989年]]から[[1990年]]に新生ポーランド第1代首相として、[[1991年]]には[[ヤン=クシシュトフ・ビェレツキ]]がマゾヴィエツキの後を次いで第2代首相として、[[レシェク・バルツェロヴィチ]](2001年に[[ドイツ]]で[[フリードリヒ・ハイエク|フリードリヒ・フォン・ハイエク賞]]を贈られている)が[[2000年代]]前半は[[中央銀行]]である[[ポーランド国立銀行]]の総裁、[[1990年代]]には2度にわたり財務相として、また[[2004年]]から[[2005年]]にかけては[[マレク・ベルカ]]が首相として、オーストリア学派の流れを汲む経済政策を実施している。
ポーランドは[[2000年代]]の世界同時バブルでは国際社会や国民からの批判をものともせず、欧州のうち同国のみは急激な[[信用拡大]]から一線を画した断乎としたタカ派経済政策を採用、[[自己資本]]に対する[[借入資本]]の伸びをできるかぎり抑える方針を貫き、低率であっても持続的な成長を選択することにより、[[バブル経済|世界バブル崩壊]]後の[[世界金融危機]]からの影響の抑制に成功し、[[2009年]]は欧州の全ての国家の中で唯一、経済成長を達成している。同年のポーランドの経済成長率は[[経済協力開発機構]](OECD)加盟国中1位となり、その経済政策は世界から注目されている。バルツェロヴィチによると自身がポーランド国立銀行総裁を務めていた2001年の時点で様々な指標からすでに世界規模で起こりつつある危険な信用拡大を察知し先手を打って断乎とした対策を講じたとのこと<ref>[http://www.polishmarket.com.pl/document/:19269?p=%2FMONITOR+GOSPODARCZY%2F ]{{リンク切れ|date=December 2012}}</ref>。[[欧州連合]](EU)
== オーストリア学派の人物 ==
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