「エリック・ホッファー」の版間の差分

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[[哲学者]]、著述家としての転機は[[1936年]]、ホッファーが34歳の時であった。ヒトラーの台頭、そしてその冬、[[砂金]]堀りの仕事でひと冬を雪山で過ごすことになり、その暇つぶしとして道中の古本屋で購入した[[モンテーニュ]]の『[[エセー]]』との出会いによって思索、とりわけ「書く」という行為を意識し始めたという。エセーはその冬で三度読み返し、最後には大部分を暗記してしまったという。
 
[[1941年]]より、[[サンフランシスコ]]で[[沖仲仕]]として働いたことから、「沖仲仕の哲学者」とも呼ばれる。[[1964年]]より、カリフォルニア大学バークレー校の[[政治学]]研究教授になったが、65歳になるまで沖仲仕の仕事はやめなかった。ホッファーによると、沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかったという。また、沖仲仕を含む港湾労働者の[[労働組合]]幹部を長く続けていた。バークレーでは週に一度のオフィスアワーを持ち、[[1972年]]まで続けた。[[1967年]]にCBCで放送された対談番組は全米各地で大きな反響を呼んだ。[[再放送]]も人気だったことから、以来年に一度出演した。[[1970年代]]、ベトナム兵役拒否や[[ヒッピー]]、[[マリファナ]]と[[学生運動]]の時代に、ある種の知的カリスマとして高い知名度をもっていたが、ホッファー自身は彼らを甘やかされた子供と捉えていた。ホッファーは[[ベトナム戦争]]を肯定的に評価していた。
 
[[1983年]][[2月]]、当時の大統領[[ロナルド・レーガン]]は[[大統領自由勲章]]を送った。同年5月、老衰のため、80歳でその生涯を終えた。