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武田氏の北方、[[信濃]]には[[林城]]の[[小笠原長時]]、[[葛尾城]]の[[村上義清]]、[[諏訪]]の[[諏訪頼重]]などが割拠していた。信玄は[[1542年]]に諏訪頼重を撃滅して内政に力を注いで法典である[[甲州法度]]を制定する一方、[[山本勘助]]など有能な家臣を中庸したし、水害予防施設である[[信玄堤]]を築造した。[[1548年]]には信濃の村上義清を攻撃したが、一部家臣が戦死するなど失敗してそのひまに小笠原長時が軍事を導いて南下して来た。信玄はこれを逆襲、撃破して長時は領地を喪失して[[関東]]の上杉氏に退却した。[[1550年]]から村上氏に対する攻撃を再開したし、[[1551年]]、家臣[[真田幸隆]]の活躍で[[砥石城]]の攻略に成功して信濃の大部分を掌握した。
 
天文22年([[1553年]])、[[川中島の戦い|川中島]]では、
 
'''[[武田信玄]] VS [[上杉謙信]]'''
 
==桶狭間の戦い==