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[[晋 (王朝)|晋代]]になると東沓県は廃止となり遼東郡[[平郭県]](現在の熊岳鎮)の管轄とされたが、[[404年]]([[元興 (東晋)|元興]]3年)に[[高句麗]]の版図に組み込まれた。[[唐|唐朝]]は成立すると高句麗への軍事行動を起こし、[[645年]]([[貞観 (唐)|貞観]]19年)には卑沙城(現在の金州区[[大黒山]])を攻略し支配権を獲得、[[668年]]([[総章]]元年)、[[唐|唐朝]]はこの地に[[安東都護府]]を設置している。[[遼|遼代]]になると[[926年]]([[天顕]]元年に[[東京遼陽府]][[蘇州]]の下に'''来蘇県'''が設置されその管轄とされた。
 
[[1143年]]([[皇統 (金)|皇統]]3年)、[[金 (王朝)|金朝]]は来蘇県を'''化成県'''と改称、[[復州]]の管轄としたが、[[1216年]]([[貞祐 (金)|貞佑]]4年)、化成県は'''金州'''とに昇格され、金州の名称が初めて登場した。
 
[[1284年]]([[至元 (元世祖)|至元]]21年)、金州は''金州万戸府'''に改編、[[遼陽行省]]の管轄とされた。[[明|明代]]になると[[1371年]]([[洪武]]4年)に'''遼都衛'''と改称されたが、[[1375年]](洪武8年)には'''金州衛'''と改称されている。[[1734年]]([[雍正]]12年)、[[清|清朝]]は金州を'''寧海県'''と改編、[[奉天省]]の管轄とされ、清後期の[[1843年]]([[道光]]23年)には寧海県は'''金州庁'''と改称されている。