「盗まれた世代」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 全体的に調整しました。
1行目:
'''盗まれた世代'''(ぬすまれたせだい、{{lang-en-short|The Stolen Generation}})は、[[オーストラリア]][[政府]][[教会]]によって[[家族]]から引き離された、[[オーストラリア]]・[[アボリジニ]]と[[トレス海峡諸島]]の[[混血]]の子供たちを指すために用いられる言葉である。[[1869年]]から公式的には[[1969年]]までの間、様々な[[州法]]などにより、アボリジニの[[親権]]は否定され、子供たちは[[強制収容所]]や[[孤児院]]などの施設に送られた<ref>http://www.austlii.edu.au/au/special/rsjproject/rsjlibrary/hreoc/stolen/stolen68.html Listing and interpretation of state acts regarding 'aborigines'.</ref>。「盗まれた世代」は、[[1997年]]に刊行された[[司法大臣]]の報告書 ''"Bringing Them Home"''<ref name="bth1">{{Cite web|url=http://www.hreoc.gov.au/social_justice/bth_report/index.html|title=Bringing them home: The 'Stolen Children' report |accessdate=2006-10-08|publisher=Human Rights and Equal Opportunity Commission|year=2005}}</ref>によって、[[オーストラリア]]で一般的に注目されるようになった。「盗まれた世代」の問題が実際にあったのか、またどの程度の規模だったのかは、いまだに議論が続けられている<ref>Ryan, Peter. [http://quadrant.org.au/php/article_view.php?article_id=293 A better place], Quadrant, January 2003, Volume XLVII Number 1-2</ref><ref>Barrett, Rebecca. [http://www.abc.net.au/worldtoday/stories/s250904.htm Stolen generation debate re-ignited], [[オーストラリア放送協会]], February 23, 2001</ref>。
 
{{年月日 | year=2008 | month=2 | day=13 }}に、オーストラリア政府は「盗まれた世代」に対して、初めて公式に謝罪した。[[ケビン・ラッド|ラッド首相]]は政府および国の代表として、議会で謝罪した。<ref>http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008021300170 2008/02/13-09:00 先住民に初の公式謝罪=子供隔離の同化政策で-豪政府</ref>
 
== 児童隔離政策の開始 ==
 
アボリジニの子供たちを両親から隔離する政策は、「純血の」アボリジニは種を維持することが不可能であり絶滅は不可避であるという、[[19世紀]]後半から[[20世紀]]前半にかけて唱えられた[[優生学]]思想に基づいて行われた。その当時採用された[[イデオロギー]]においては、人類は文明的な階層によって区分することができると考えられていた。ここでは、[[北ヨーロッパ]]人は文明のレベルにおいて優れており、アボリジニは比較的に劣っていると仮定されていた。この種の思想の極端な支持者たちは、混血の子供たちが増加することは人種の純潔への脅威であると考えた。
 
児童隔離政策の法制化の最も古い記録は、[[1869年]]のアボリジニ保護法である。アボリジニ保護中央委員会は[[1860年]]からこの法を提唱していた。この法律は[[ビクトリア州|ヴィクトリア植民地]]における隔離された子供たち、特に「危機に瀕している」少女たちを含むアボリジニと「混血」の人々に猛威を振るった。
 
[[1950年]]までに、類似の方針や法律が他の州や地域によって採用された。これにより、アボリジニの子供たちは両親から隔離され、16歳か21歳になるまでアボリジニ保護官によって様々な保護的行為が広範囲にわたり行われるようになったが、その目的は混血の人々をオーストラリア社会に文化的に同化させることだった。警察官や他の政府職員(たとえば「アボリジニ保護官」)には、混血の乳児や子供たちを母親や家族、コミュニティーから見つけ出し、施設に移動させる権限が与えられていた。これらのオーストラリアの州や地域において、混血児の施設はこれらの隔離された児童たちを収容するために、政府や教会によって[[20世紀]]の初頭の数十年の間に設立された。
 
評論家のなかには、これらの法律の一部は、保護を放棄されたり、[[虐待]]を受けたり、捨てられた子供の児童たちの保護のために成立したと主張する者もいる。彼らは、混血の子供たちはいくつかのアボリジニのコミュニティーにおいては不要とされたり、歓迎されなかったと主張している。[[1920年代]]、ボールドウィン・スペンサー報告によると、[[ザ・ガン|ガーン鉄道]]の建設の間に生まれた混血の子供たちは幼いうちに遺棄された。これらの出来事により、政府はこのような子供たちを保護するための政策を行うようになった。
 
== 脚註 ==
35行目:
[[Category:オーストラリアのレイシズム]]
[[Category:人権侵害]]
[[Category:世代]]
{{history-stub}}
{{AU-stub}}