「ボビー・ボンズ」の版間の差分

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[[1970年]]には球団新記録の48[[盗塁]]を記録。翌[[1971年]]は33本塁打、102[[打点]]を挙げチームの地区優勝に貢献するが、[[リーグチャンピオンシップシリーズ]]で[[ピッツバーグ・パイレーツ]]に1勝3敗で敗れた。結局、この年が唯一の[[ポストシーズン]]進出となった。
 
[[1973年]]は先頭打者本塁打11本を含む39本塁打を記録。シーズン先頭打者本塁打11本は、現在も[[ナショナルリーグ]]記録である。[[1973年のMLBオールスターゲーム|この年のオールスターゲーム]]では5回に2ラン本塁打、7回に二塁打を打ち、[[MLBオールスターゲーム最優秀選手|MVP]]を受賞した。またこの年43盗塁を記録し、自身初の「[[30-30クラブ|30-30]]」を達成。[[ニューヨーク・ヤンキース]]に移籍した[[1975年]]にも32本塁打・30盗塁で「30-30」を達成し、両リーグで達成した初の選手となった。通算では5回達成しており、息子のバリーと並ぶ最多記録。親子で「30-30」を達成したのもボンズ親子が初めてでかつ2014年現在では唯一の例である。ただし、バリーが3回記録した[[トリプルスリー]]は規定打席到達での打率3割を1度しか記録していない(1970年、48盗塁したが本塁打26本で逃す)こともあり、縁がなかった。
 
ヤンキースに移籍後は7年間で7球団を渡り歩き、[[1982年]]に引退。[[1978年]]には[[ウィリー・メイズ]]に次いで史上2人目の「[[300-300クラブ|300本塁打・300盗塁]]」を達成。後にバリーも300本塁打・300盗塁をクリアしているおり、これも親子での達成となった
 
先頭打者本塁打が35本。これは2006年シーズン終了時点では歴代4位の記録。